naotoiwa's essays and photos

2021年07月

foxes

Planar 80mm f2.8 of Rolleiflex 2.8E2 + Pro400H


 久しぶりにローライのプラナー。やっぱりクセノタールより柔らかいというか、空気感が雲気(?)のように映る、ような気がする。





 大学時代の恩師である河村錠一郎先生の近著『イギリスの美、日本の美 ラファエル前派と漱石、ビアズリーと北斎』(東信堂、2021年)を読んでいたら、ワッツの描く「パオロとフランチェスカ」が夏目漱石の『行人』の中で言及されているくだりが出てきて(p.31)、数十年ぶりに『行人』を読み返してみたくなった。

 この小説は、兄一郎のニーチェばりの苦悩が手紙形式で描かれている作品で、あの名作『こころ』に通じる新聞小説だと言われているが、まずなによりも感銘するのは、漱石の描く女性たちの魅惑的な姿とその言動である。漱石の小説には、まさにラファエル前派の画家たちが描くファム・ファタルの日本女性版が数多く登場するが(その極めつけは『三四郎』のヒロインの里見美禰子であろう)、この『行人』に出てくる一郎の妻の直(なお)もまた蠱惑的である。それを漱石は、彼女の靨(えくぼ)の描写だけでここまで表現してしまうのである。脱帽。

嫂は平生の通り淋しい秋草のように其処らを動いていた。そうして時々片靨を見せて笑った。

不断から淋しい片靨さえ平生とは違った意味の淋しさを消える瞬間にちらちらと動かした。

それから、肉眼の注意を逃れようとする微細の渦が、靨に寄ろうか崩れようかと迷う姿で、間断なく波を打つ彼女の頬をありありと見た。


 そして、「柔かい青大将に」となる。これではパオロはフランチェスカの魅力にひとたまりもなくやられてしまうだろうと思いながら弟二郎を主人公とした前半の三章を読み終えた。(最終章の展開は、まだ読んだことがない人のためにここに書くことはやめておきます)

彼女の事を考えると愉快であった。同時に不愉快であった。何だか柔かい青大将に身体を絡まれるような心持もした。

 漱石はこの小説を書き終えた3年後に亡くなっているが、同じ墓地に眠る漱石も夢二もどちらも満五十才になることなく四十九才でこの世を去っていることを思うと、(当時としては決して夭折にはならないのかもしれないが)やはり残念でならない。

太字部分は夏目漱石『行人』(新潮文庫)からの引用。p.227、p.328、p.336、p.218




 ジャンクカメラ&レンズを数千円で買ってしまった。といっても、外観も機関も新品同様。殆ど未使用のまま30年余、どこかに埋もれていたらしい。でも、カメラの価値としては現在ではほとんどゼロに等しい代物だ。キヤノンの一眼レフEOS630ズームレンズ付き。発売は1989年。

 昔々、バブル真っ盛りの頃にこのカメラを買ったことがある。若い頃から機械式のマニュアルカメラが好きで、こうしたオートフォーカスのプラカメ一眼レフには基本的に興味がなかった自分が、二十代の最後にこのカメラだけは買った。理由はEOS630のCMに使われていた曲がシルヴィ・バルタンの「Irrésistiblement(邦題:あなたのとりこ)」だったからだ。中学生の頃からシルヴィ・バルタンに憧れていたカメラ少年が、三十才になる直前に広告に惑わされて(?)EOS630を買い、これにポジフィルムを詰めて鎌倉中のいろんな場所を巡った。

 あれから三十年。ずいぶんと久しぶりにフィルムをEOS630に入れファインダーを覗き、シャッターボタンを押してみた。オートフォーカスの「ピ、ピ、ピッ」という音はうるさいけど、見かけの割にとても軽くて(さすがプラカメ!)スピーディに撮れることこの上ない。途中でフィルムを巻き上げたくなった場合もボタンひとつでOK。

red shoes

EF50mm f1.4 + EOS630 + Fuji100






向日葵

Summicron 40mm f2 + CL + Lomo100 + Color Efex Pro


 雨の日の向日葵




 デジタルでもフィルムでも意図的に多重露光をすることは多々あるが、今回のようなことは初めてである。うかつにも撮影済みのフィルムをもう一度装填して再撮影してしまったらしい。一回目と二回目ではコマがズレているので現像フィルムをカットすることはできなくなってしまったが、かろうじて36枚分フィルムスキャン完了。

 その結果。……これぞ、完全なる偶発性のクリエイティブ、かも。

多重露光

Summicron 40mm f2 + CL + APX400



 大学の紀要に掲出予定の竹久夢二に関する研究ノートの原稿もほぼ仕上がったので、お礼方々、雑司ヶ谷のお墓にお参りに行ってきた。「知らせる人—それだけ。外に一人 アリシマ。」と日記に綴った盟友、有島生馬の筆による「竹久夢二を埋む」とだけ書かれた簡素な墓石の前に桔梗の花のブルーが凜として雨に濡れていた。夢二らしいお墓だと思った。

夢二墓

 ここ雑司ヶ谷には文人、画人たちの墓が他にもたくさんある。最も有名なのは夏目漱石の墓であろうが、永井荷風の墓も、そして夢二も大好きだったに違いない(『夢二画集 旅の巻』の中で金沢を訪れた際の紀行文に名前が出てくる)泉鏡花の墓もある。あるいは、生前いろいろといわくのあった画家の東郷青児の墓もある。
 ところで、荷風も鏡花も夢二より早く生まれているが亡くなったのは夢二の方が先である。満五十歳に満たなかった夢二はやはり夭逝だったと言うべきなのかもしれない。

 さて、研究ノート執筆のために日記や書簡の中で夢二の言葉をいろいろ調べていたところ、「『人生は芸術を模倣する』とフランスで死んだイギリス人が言ひました。私の人生は私の幼い時受けた芸術の影響を脱し得ないばかりでなく、或は実践してゐるかも知れません」というくだりに行き着いた。オスカー・ワイルドのことである。
 これを知って、いったい何十年ぶりだろう、オスカー・ワイルドの芸術論の『嘘の衰退』を読み耽っていた若い頃のことを思い出した。かつて、大学を卒業した後、就職をせずそのまま勉学を続けたいと考えたこともあった。研究したかったのはマニエリスム芸術論とオスカー・ワイルドの芸術至上主義。夢二研究のおかげで、今頃になって当時のことを思い出すこととなった。これもシンクロニシティ、なのだろうか。


引用文献:
長田幹雄(編)『夢二日記 4』(筑摩書房、昭和62年)p.347およびp.286

参考文献:
竹久夢二『初版本復刻 竹久夢二全集 夢二画集 旅の巻』(ほるぷ出版、1985年)
オスカー・ワイルド / 西村孝次 訳『オスカー・ワイルド全集 4』(青土社、1989年)

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