naotoiwa's essays and photos

2020年10月

秋の空

Super Angulon-R 21mm f3.4 + α7s + Color Efex Pro


 秋空。




 この夏に取り組んでいた現代広告に関する論文の執筆もほぼ終了。それではということで、次のテーマに取りかかるべく、先日久しぶりに研究出張に出かけた。訪れたのは岡山の邑久と牛窓、そして、兵庫はたつの市の室津である。テーマは竹久夢二。
 夢二が生涯かけて行ったことのいくつかは、現代の広告クリエイティブを考察するにあたっても参考になることが多々ある。グラフィック広告のコピーとデザインの組み合わせは、夢二の言うところの画賛(絵の余白に添えられた文章)に原型があるようにも思われるし、日本橋の港屋絵草紙店で取り扱われていた商業デザインのアイテムは斬新なアイデアの宝庫だ。
 そして、デザイナー、イラストレーターとしての夢二については語り尽くされているけれど、マニエリスム美術を専攻していた者にとって、夢二式美人のあのS字型にくねらせた細い体、傾けた首、長い手足はまた格別のものである。

 さて、今回論文のテーマとして書いてみたいのは、詩人として、コピーライターとしての夢二の表現についてである。「文字の代りに絵の形式で詩を画(か)いて見た。」というのは夢二画集「春の巻」の中にある有名な文句であるが、夢二にとっては言葉と絵は分かちがたい一体のものであったのだろう。プライベートでも殺し文句の達人だ。例えば、最愛の彦乃に送った手紙の中の一節。

 話したいことよりも何よりもたゞ逢ふために逢ひたい。
(大正5年の彦乃宛て手紙 より)

 そして、夢二画集の中にあるこの文章。

 あゝ、早く『昔』になれば好いと思つた。
(夢二画集 夏の巻 より)

 この文章だけを切り出してみると、なんとも甘ったるい個人的なノスタルジーのように思われるが、決してそうではない。その前の文脈は以下の通り。

 僕は、淡暗い蔵の二階で、白縫物語や枕草子に耽つて、平安朝のみやびやかな宮庭生活や、春の夜の夢のよふな、江戸時代の幸福な青年少女を夢みてゐたのだ。あゝ、早く『昔』になれば好いと思つた。
(夢二画集 夏の巻 より)

 夢二は少年の頃から、過去の時代そのものの郷愁にとらわれていたということなのだろう。彼が最初に「中学世界」に投稿したポンチ絵は伊勢物語の中の「筒井筒」へのオマージュであったし、のちに吉井勇が「新訳絵入 伊勢物語」を上梓した際にはその挿絵を夢二が描いている。
 大正というモダンでロマンチックな時代の申し子のような竹久夢二は、生涯をかけていにしえの時代そのものに憧れ続けた人だったのではあるまいか。私は心理学には門外漢であるが、ノスタルジーには個人的ノスタルジーと歴史的ノスタルジーがあるという。夢二のつぶやく言葉、描く世界のノスタルジーは、一見、極めて個人的なものに見えて、その実かなり客観的な歴史的ノスタルジーだったのではないだろうか。そのあたりのことを次の論文では書いてみたいと思っている。

 岡山からの帰りに室津に寄った。宿泊したのは「きむらや」。夢二はこの地で「室之津」と題した絵を三点描いている。現在の女将のおばあさまに当たる方がこの絵のモデルだと伺った。
 室津と言えば、お夏清十郎物語。そして遊女発祥の地。夢二はおそらくこの町の過去、歴史そのものに憧れていたのだろう。大正6年の彦乃宛ての手紙の中では以下のように書いている。

 そこに住む人たちはみんな近松の浄瑠璃にあるやうな言葉をつかふ。なんといふ静かなものかなしい趣きをもった港だらう。西鶴の五人女のお夏のくだりに<春の海静かに室津は賑へる港なり>とある
(大正6年の彦乃宛て手紙 より)

 この町の浄運寺には法然上人に帰依した遊女の元祖と言われている友君の碑や、その座像、あるいはお夏の持仏と称される木像も残っている。夢二も間違いなくここを訪れ、そのインスピレーションで「お夏狂乱」の絵を描いたのだろうと推察される。

浄運寺1

浄運寺2


参考文献
竹久夢二『夢二画集 夏の巻』(洛陽堂、明治43年)
石川桂子 編『竹久夢二 恋の言葉』(河出書房新社、2004年)
高階秀爾 他監修『夢二美術館 2 恋する女たち』(学習研究社、1988年)


all photos taken by Summilux 35mm f1.4 2nd + M10-P


晩秋の海水浴場2

Summilux 35mm f1.4 2nd + M10-P


 晩秋の海水浴場。



on the beach in autumn

Summilux 35mm f1.4 2nd + M10-P


 秋の海水浴場。







 路地裏を歩いていたら、キンモクセイの優しくて甘い香りがした。毎年この季節にこの香りを嗅ぐ度、私は九鬼周造のあのエッセイの一節を想い出す。

「今日ではすべてが過去に沈んでしまった。そして私は秋になってしめやかな日に庭の木犀の匂を書斎の窓で嗅ぐのを好むようになった。私はただひとりでしみじみと嗅ぐ。そうすると私は遠い遠いところへ運ばれてしまう。私が生れたよりももっと遠いところへ。そこではまだ可能が可能のままであったところへ。」

九鬼周造『音と匂 ―偶然性の音と可能性の匂―』より





 2022年の大河ドラマは三谷幸喜さんの脚本による『鎌倉殿の13人』、北条義時が主人公である。

 若い頃から歴史好きで、特に平安末期から室町にかけての中世史には目がない。20代の後半に鎌倉に住んでいたこともあって、鎌倉周辺の源氏、北条氏ゆかりの場所はほとんどすべて見て回った。ちなみに当時住んでいたのは北条得宗家屋敷跡である宝戒寺のすぐ近くで、高時腹切りやぐらのある東勝寺跡は毎週末の散歩コースだった。

 でも、幕府滅亡後の北条氏については今まであまり関心がなく、今回改めていろいろ調べてみたのだが、なんと故郷帰りをしているのである。高時の生母である覚海尼は北条氏発祥の伊豆韮山に戻り、その元来の屋敷跡に円成寺を建立している。すぐ近くには狩野川が流れ、なんとも風光明媚な場所である。

狩野川


 北条義時が得宗と呼ばれ、第二代執権の職に付いてから鎌倉幕府が滅びるまでに約130年の月日が流れた。一族は滅亡し、その冥福を祈るための尼寺が伊豆地方の一豪族に過ぎなかった頃のかつての場所に建立された。こうして運命は振り出しに戻るのだ。円成寺跡には、彼岸花が咲いていた。

彼岸花


all photos taken by Elmarit 28mm f2.8 2nd with stopper + M10-P + Color Efex Pro



 最近は、とんとオールドカメラ&レンズを購入する機会もなくなったが(ライカを筆頭に値段が高騰しすぎで手も足も出ない)、アクセサリーの類いだけは細々と集め続けている。特に外付けファインダー。ライカもツアイスも、はたまたフォクトレンダー名のコシナのも、みんな工芸品のような造りであり、そしてなにより、覗いた時の世界の見え方がカメラに内蔵されたファインダーとは別格なのである。シャッターを切る必要を忘れてしまうくらい、ただただファインダー越しにこのまま世界を眺め続けていたい気分になってしまう。

 でも、ローライのような二眼レフだけは別。二眼の良さは、あの上から覗く左右逆転のウエストレベルファインダーにある。それをわざわざプリズムファインダーに取り替えて、というのは今まで発想したこともなかったのだが。

 馴染みの中古カメラ店で、かなりきれいなプリズムファインダーを見つけてためしに付けてみたところ、これがまあ、よく見えるのである。大きなスクリーンでビシッとピントを合わせられるのだ。やっぱり正像はいい。

 金属のカタマリでかなり重いし、デザインも頭でっかちのツッパリヘアースタイルみたいなのだけれど、それはそれでまたカワユクもあり、ということで、このところプリズムファインダーにすげ替えたローライ3.5Fがお気に入りなのである。

rollei

Dallmeyer 1inch f1.8 + E-PM1


夢の跡

Elmarit 28mm f2.8 2nd + M10-P


 夢の跡。


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