naotoiwa's essays and photos

2019年12月



 都心でも最高気温が10度を下回った。真冬である。悪くない。

 元来、僕は冬の方が好きなのだ。夏は苦手。もちろん夏という季節に憧れはあるものの、生理的にダメ。夏は冷える。冷房で冷えるし、汗をかくだけで体が冷える。そもそも汗をかくのがキライ。一枚しかない皮膚はこれ以上脱ぐことができない。その点、冬は暖かい。着込めばいいのだから。足元を温めれば、頭寒足熱。アタマはキリリと冴え渡る。

 冬の昼間はあっという間に終わる。「雲ひとつなく昼は過ぎて、なにもかも最後まで美しかった」。ずいぶん早い時間から闇夜が口を開けて待っている。夜は長し。だからその分だけ、たくさんの秘密が待っている。意味のある言葉なんか要らない。ヴォーカリーズ。





 今日はジョン・レノンの命日。



 「マチネの終わりに」。映画、見てこようかな、どうしようかな。キャスティング、ちょっと照れちゃうしなあ。あの原作のイメージに合うかなあ、などと思いつつ、




 久しぶりに平野啓一郎さんの原作を読み返してみることにした。大人の恋愛小説、である。で、大人の恋愛ってなのなのかというと、……

 この世界は、自分で直接体験するよりも、いったん彼に経験され、彼の言葉を通じて齎された方が、一層精彩を放つように感じられた。

 という一文があったりする。ううむ。自分よりも相手のことが好きになれる、どころか、自分自身で認識する世界よりも相手を通じて認識する世界の方が素晴らしいと思えるようになる。これは深い。まさにこれこそ大人の恋愛である。でもそのためには、今の自分自身の心身の現状をきちんと認識し、それを徹底的にリセットするところから始めなくてはならない。

 年齢とともに人が恋愛から遠ざかってしまうのは、愛したいという情熱の枯渇より、愛されるために自分に何が欠けているのかという、十代の頃ならば誰もが知っているあの澄んだ自意識の煩悶を鈍化させてしまうからである。

 この一文などは、まことに耳が痛いのである。

*引用は、平野啓一郎『マチネの終わりに』(毎日新聞出版、2106年)より



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