2019年12月
リアルライフ
社会人になったのは1984年。あれから35年。世の中はずいぶんと様変わりをした。その間のデバイスの進化はすさまじかった。固定電話は携帯電話に、そしてスマホへ。ワープロはパソコンに、そしてタブレットへ。手紙はメールに、そしてSNSへ。カセットテープはCD、MDを経て、今はデータ配信がアタリマエ。あの頃、インターネットがここまで発達するとは誰もが考えてもみなかった。来年は2020年。通信も5Gの時代を迎えて世界中がデータで覆われるようになる。リアルとバーチャルは完全にシームレスになっていく。
でも、リアルな世界に限って言えば、大して劇的な変化はない。先日、80年代後半のバブル時代のトレンディドラマをオンデマンドで見ていたら、主人公たちの住む部屋はどれもモダンだったし、調度品もセンスがいい。洒落た車が毎日の生活の必需品になっていて(どう見てもお酒を飲んだ後に運転しているのではないかと思われるシーンはいくつもあったけどw)、主人公たちが通うレストランやバーもみんな気が利いた店ばかり。たしかに当時、我々はリアルなモノ・コト、そしてヒトに必死になってお金と時間をかけていた。
この35年間で、ほんとうに世界は豊かになったのだろうか? スマホでARアプリを起動させながら眺める現代の景色と、コール音を聞きながら公衆電話のガラス越しに眺めたあの頃の景色と、そのどちらが世界の認識の仕方として上等なのだろうか。そんなことをふと考えてしまう、2019年の年の暮れである。
Dallmeyer 1inch f1.8 + E-PM1 + Silver Efex Pro
イルガチェフェ
若い頃からずっと珈琲好きである。でも、最近は豆の好みが変わってきたように思う。以前は苦味の強い豆を中煎りか深煎りにしていた。好きな豆はマンデリン。でも今は、むしろ酸味の強い豆を選ぶ。代表的なのはもちろんモカだが、モカよりももっと軽やかでフルーティなものをとなると、イルガチェフェなのである。
イルガチェフェ。モカと同じエチオピア産だが、これを浅煎りにしてお湯を落とすと、まるで紅茶のような色合いである。一口目。グレープフルーツのような、と言う人も多いが、私は梨にバラの香りとナッツの香ばしさをを足したような、そんな風に感じる。一分ぐらい置いてから二口目。なんとも上品な酸味である。レモンフレーバー。三分ぐらい置いてから三口目。酸味が増してくる。そして五分後。かなりの酸味である。唾液が出てきそうなほどだ。こんなに時間経過とともに味が変化する珈琲豆は初めてだ。まるで、香水のトップノート、ミドルノート、ラストノートみたい。芸術的である。
おいしい珈琲は胃腸の働きを活性化してくれる。(古くて不味い珈琲は胃に当たる)そして、なによりも、あの香り。部屋中が柔らかな香ばしさに包まれて、なんとも幸せな気分になってくる。
イルガチェフェ。ネーミングもなんともエスニックでいいですよね?
Dallmeyer 1inch f1.8 + E-PM1
そこで以前(せん)より
クリスマスが終われば、すぐに年越しである。
六星占星術によると、来年からは運気がぐんと下がるらしい。それが3年続く。前にも書いたが、私は霊合星人とやらで、年ごとの運気がきわめて複雑だが(メインの運勢が良くてもサブが悪かったり、あるいはその逆のパターンも)、来年はなんと大殺界と小殺界の組み合わせ。ダブルパンチである。凄まじい負のエネルギー、とのこと。空回り、大いなる誤解、思わぬ嫉妬。……ううむ。ま、こういう年は静かになにも事を起こさず、周りの流れに身を任すに限るのだが、60歳も目前に迫ってきて、そう悠長なことも言っておられぬ。今まで通り、自分は自分のやり方で進んでいくしかないのだけれど。……
ただ、改めて。再来年には還暦を迎えるのである。いくら平均寿命が延びているとはいえ健康寿命は別。これからの数年は、自分の肉体ひとつとっても、決して今までのように結果オーライでは済まされないだろう。いろんな事態に見舞われるかもしれぬ。その先にもちろん「死」がある訳で、来年を60歳になる準備の年と考えるなら、来年こそは自分の「死」をきちんとイメージできる年にしておきたいと思う。自分の死後の世界をちゃんと想像できる人間になっていれば、おのずと生き方はもっと謙虚になるだろうし、もっとこの世界を俯瞰して見られるようになると思うからだ。そのためにも、
そこで以前(せん)より、本なら熟読。
そこで以前(せん)より、人には丁寧。
やはり、まずはここから、ですよね?
拝啓 中原中也さま。
メリイクリスマス
みなさんは、今年のクリスマス、どこでディナーを食べますか? 夜景がきれいな場所でイタリアン? それともフレンチ? 私はと言えば、今年は国分寺で鰻を食べようと思っています。え? 和食? それも鰻? はい、若松屋です。メリイクリスマス。
今年は太宰治に明け暮れた一年でした。生誕110周年。大好きな太宰の小説を何度も読み返しました。太宰をテーマにした論文にもトライしてみました。そのために久しぶりに津軽まで取材調査にも出かけました。だから、やっぱり、今年は若松屋で〆たいと思うのです。メリイクリスマス。
若松屋。太宰が三鷹時代によく通ったの鰻屋さんです。全集の口絵に使われた、ビイルを飲んでいるあの有名な写真も、たしか、@若松屋だったはずです。店はその後三鷹から国分寺に移転し、現在は国分寺街道沿いにあります。場所は変われど、太宰が愛した若松屋です。店には太宰関係の書籍がいっぱい並んでいます。ファンにはたまりません。そして、なによりも。初代から受け継がれる鰻がおいしいのです。おまけに刺身もおいしいのです。(二代目の時には寿司屋もやられていたそうです。現代は三代目の方が若松屋を継がれています)
ここはまさにあの、『メリイクリスマス』の舞台です。だから、今年のクリスマスは若松屋の鰻、なのです。
「ハロー、メリイ、クリスマアス。」
pavane
フォーレの、フォーレによる。
真夜中の喫茶店
重い鉄製の扉を開けた瞬間、柔らかな暖気が出迎えてくれる。眼鏡のレンズが白く曇る。ここは、真冬の片隅にぽつんと設えられた安息の場所である。
とにかく静かである。BGMは、聞こえるか聞こえないかの絶妙のバランスで、うっすらと流れているだけ。時折、ケトルからシューシューと湯気の立つ音がするだけ。そんな中で、みんな、思い思いの本のペエジを繰っている。でも決して、緊張を強いられる静寂ではない。空気がゆったりと和んでいる。ここに居ると、夜がずっと続いていくような気分になる。やさしい夜が、決して足元をすくわれることのない夜が、永遠に続いていくような気分になる。
ここは、一風変わった珈琲店である。まずもって営業時間。開店は日没の一時間後、閉店は日の出の一時間前。つまりは夜の間しか営業していない。しかも完璧な夜の時間だけ。前後に一時間ずつ設けてあるのはそのためである。そして、なんと、この店には店主がいない。客は自分で棚から好きな珈琲茶碗を選び、自分でお湯を沸かし、自分で紙フィルターを使って珈琲を淹れる。といっても、セルフサービスの店ではない。姿は見えずとも、店主の気配は常に感じられる。開店時間には毎日きちんと数種類の挽き立ての豆が用意されているし、BGMで流れる音楽もその日の天候によって、あるいは、その日に集まる客たちの気分を察するようにアレンジされている。
さて、扉を開けたすぐのところの壁には小さな貼り紙があって、そこに、この店のルールが書いてある。
1)ここは、静かに本を読む、あるいは文章を書くための場所です。
2)店内の本は全部自由に読んでいただいて構いません。でも、必ず元の場所に戻しておいてください。
3)何時間居ていただいてもかまいません。けれど、眠らないでください。
4)料金は一律千円です。お金はカウンター脇の木箱の中に入れておいてください。
5)通信機器は使わないでください。
6)最後に店を出るひとは鍵をかけ、扉の郵便受けにドロップしておいてください。
そんなルール、客がちゃんと守ってくれるの? 本を持ち帰っちゃうひと、いない? みんながみんな千円払ってくれるかしら? ……大丈夫。この店に来る客は、初めて訪れるひとも含めて、みんなこのルールをきちんと守っている。ほぼ毎日来ている私がそう証言しているのだから、間違いはない。
そう。私はほぼ毎日、この店に通っている。そして、ほぼ毎日、ここで物語を紡いでいる。物語、ストーリー。……そんな大仰なものではないのかも。私はただ、静かに、自分のまわりに存在しているここの親密な世界を叙述したいだけなのだから。
営業時間の話に戻ろう。日没の一時間後から日の出の一時間前まで。だとすると、当然のことながら季節によって営業時間が変わってくる。真夏で7時間ぐらい、真冬だと10時間以上。その間、ここに来る客はただただ本を読み、文章を書いているだけ? 疲れてうたた寝してしまうんじゃない? それにお腹だって空くのでは? 確かにお腹は空く。で、そういう時のために、実はフードメニューも用意されている。ただし、出前である。カウンターの隅に小さな黒いボタンがふたつあって、それぞれに小さな文字で、ポテトサンド、フルーツサンド、と書いてある。このボタンを押してきっちり十五分後に入口の扉を開ければ、あなたはそこに銀のトレーにのった、きれいにラップがかかったポテトサンドかフルーツサンドを目にすることができるだろう。まるでホテルのルームサービスみたいに。
彼岸
仁王
ブラコン
久しぶりにカメラの話である。
ええっと、ライカにはちょっと飽きてしまった、なんて、恐れ多くて絶対に言えないのだけれど、例によってあまのじゃくなワタクシとしては、最近は、ライカの永遠のライバルだったツアイス、コンタックスの方にばかり惹かれるのである。
戦後のモデルで比較的使いやすいと言われているコンタックス Ⅱa でさえ、持ちにくいし、シャッター音はうるさいし、距離計を合わせるダイヤルをコリコリ動かしていると指が痛くなってくるし。カメラ全体の洗練度はライカに比べると確かに落ちる。でも、縦走りのシャッターはシャキーンとしているし、付けるレンズのゾナーも、ズマールやズミタールよりも明るくてクリア、カラーでプリントすると明度も高い。悪くない、と思う。
で、コンタックス。極めるなら、戦前の最初のモデルであるブラックコンタックス、通称ブラコンまで行き着くべきであろう。現在、程度のいいものをアレコレ物色中。幸いライカに比べればお値段はぐっとリーゾナブル。12月のボーナスのほとんどは教育費やら修繕費やら税金等に露と消えそうな状況の中、せめて、数万円(5万円未満です)ぐらい自分のために使ってもいいよね? (と、誰に向かって言っているんだろう)
ちなみに、これは Ⅱa の後塗りブラック。偽ブラコンでございます。