naotoiwa's essays and photos

2019年07月

distortion

Summicron 35mm f2 2nd + MM


 distortion.




 今年の全英(ウィンブルドン)テニス男子決勝はスゴかった。ジョコビッチ対フェデラー。第1シードVS第2シード。試合はフルセットにもつれ込んでファイナルセットはなんと12対12。それでも決着が付かない。最後の最後のタイブレークでかろうじてジョコビッチが勝利。試合時間5時間。テレビ観戦は月曜日の早朝まで続きおかげさまで睡眠不足である。

 ホンモノの超一流選手というのはどこが違うのか。ふたりの試合運びを見ていてよくわかった。ピンチになった時こそ守りに入らず大胆に攻め続ける。これ、言うは易しだが、冷静なセルフコントロール能力と、そしてなによりも勝つことへの執念がすさまじくなければ決して為し得ないこと。世界トップの技術力と合わさって、両者のほとんどのショットはオンラインギリギリの応酬である。

 フェデラーはもうすぐ38歳。勝てばウィンブルドン最年長優勝記録がかかっていた。他の選手だったらもうとっくに引退していてもいい歳なのに、あの死闘を演じても息切れひとつしないタフさ。ジョコビッチだって33歳、もう若くはない。今回のジョコビッチは、審判の微妙なジャッジにもクレームひとつ入れず、プレー中の声も控えめで終始沈着冷静。ふたりとも情熱と勝利への執着を胸にたぎらせながら、「青ざめて」いた。

 最近では、なにがなんでも勝ってやる、というのはダサいことなのか、そうしたことに敬遠気味の若い人が多いように思う。もうひとつ上を目指してやろうという貪欲さを感じない。無理せずほどほどに日々の安寧を、ということなんだろうけれど。

 ジョコビッチとフェデラー。それにもうひとりのベテラン、ナダル。この三人はほんとうに格好いいと思う。ビック3の時代はまだまだまだまだ続きそうだ。



 雑居ビルの一室、窓の向こうは細かな雨に煙っている。アスファルトの真っ黒な路に水溜まりができていて、そこに街灯のオレンジ色が滲んでいる。雑居ビルなのに、どこの部屋からも物音ひとつ聞こえない。誰ひとり声を上げたりする人もいない。
 ここで、僕は物語を書いている。夜と昼が逆転している街の話を書いている。あるいは、時間が特別に引き延ばされた真夏の夜の話を書いている。あるいは、何ヶ月も何ヶ月も雨の季節が続く話を書いている。

@月と六ペンス(京都)


月と六ペンス


ここのオーナーが作られたブックカバー、素晴らしいデザインです!
一枚いただきました。



 個人で仕事をする際の屋号は「もの・かたり。」にしている。英語で mono-cataly と表記しているのはカタリスト(catalyst) を意識してのことであるが、表現に携わる仕事をしている者にとって、「物語=ストーリーテリングとはなにか」というのは永遠のテーマである。

 先日、小川洋子さんとクラフト・エヴィング商會の『注文の多い注文書』を読んでいたら、あとがきに相当する『物と時間と物語』の中で以下のような文面を見つけた。まさにまさに。これ、ずっと思っていたことである。


H:そういえば、どうして物語の「もの」って「物」なんだろう。人間の「者」じゃなくて。
O:たしかに、人が語るものなのに不思議です。
A:きっと、「物」の方が物語を知っているんですね。
H:どうして、人も「もの=者」っていうのかな?
A:そういえば、物には魂がある、と昔の日本人は気づいてました。いまはみんな忘れちゃったみたいですけど、昔はそれが当たり前でした。
小川洋子 / クラフト・エヴィング商會『注文の多い注文書』(ちくま文庫、2019年)p.208

*Oは小川洋子さん、Hは吉田浩美さん、Aは吉田篤弘さん






will you dance? will you dance?
smell of caviar and roses.
teach your children all the poses.
how familiar are we all.
will you dance? will you dance?
light fantastic in the morning.
how romantic to be whoring.
boring though it may be.
who'll survive if you and I should fall?

lyric by Janis Ian


踊りましょ。
キャビアと薔薇の匂い。
子どもたちには見せかけだけも教えてあげましょ。
私たちがみんなどんなに親密かってこと。
さあ、踊りましょ。
朝の輝く光はなんて素敵なんでしょう。
でも、娼婦のように淫らになるのもロマンティック。
退屈するかもしれないけれど。
いずれにしても。
あなたと私が死ぬべきだとしたら、
いったい他の誰が生き残るっていうの?

(拙訳)



 昔からいろんなことにトライ(&エラー)し続けている人生ですが、ここ数年、日々のスポーツにおいても夏のテニスと冬のスキーだけじゃなんだかツマンナイ、と思うようになって、今年から新しいこと、始めてます。それが……なんと、フィギュアスケートなんです。このトシからだと、このスポーツ、かなり危険でアリマス。

 軽井沢によく行ってた頃は、風越公園に公営の大きなスケートリンクがあったので、冬場はよく滑っていました。でもその頃は、スピードスケート靴やホッケー靴を履いてただひたすらに前進滑走あるのみだったのですが、いやあ、フィギュアスケートというのは根本的に違いますね。バック走行がフォア走行と同等に出来ないとダメなんです。それどころか片足走行がフォアもバックもスムースに出来ないと先に進めない。(ので、なかなか次のレベルに進めません)

 幼い頃、自転車に初めて乗れた時を思い出しながら、改めて徹底的に身体バランスを鍛え直さないとフィギュアスケートはうまくなりません。で、とても繊細なスポーツなんです。スポーツであると同時にやはりアートだと思います。ご存じのようにフィギュアスケートの原点はコンパルソリー。滑走して滑り跡で図形を描く氷上の幾何学です。アウトエッジとインエッジを使い分けて、体重移動だけで氷上を自在に動き回るんです。これ、うまくできるようになると病みつきになります。でも、そのためにはかなりの脚力も必要とします。膝と足首を曲げるタイミングで相当踏み込まないと優美な滑走につながっていきません。

 最初は何度も転けました。(今も転けてます)特に片足のバック走行。肘や膝、そして大腿骨を強打したこともあります。(すわっ、大腿骨にヒビが入ったかとかなり焦りました)突き指ぐらいはアタリマエです。ということで、年寄りにはかなり危険なスポーツなんです。
 都内のスケートリンクで滑走の練習をしていると、選手を目指すジュニアの子たちから一般客まで、滑っている人たちの技術レベル差はかなりあります。それが混淆しているさまは、なかなかにドラスティックな風景です。

 そろそろ骨密度を気にしないといけない年頃になってこんなことを始めてしまうなんて、いったいなんなんでしょうね。自分自身理解不能のところがあるのですが、たぶん、ちょっとだけキザに言うと、自分の身体性にもっと耳を澄ませたいのだと思います。

 あ、あとは、夏こそスケートの季節なんじゃないでしょうか。リンク内はいつも10度以下に設定されていますから梅雨時も快適ですよ。みなさんもいかがですか?

figure skating





 四月から毎月一篇ずつ続けている連載小説。忙しさにかまけて、だんだん息があがってきましたがっ、一週間ほど遅れで、ようやく七月篇、アップできました。

 街にはノウゼンカズラの鮮やかなオレンジ色が溢れています。

ノウゼンカズラ


 七月篇、こちらからどうぞ。



 四年前、あのままサラリーマンを続けていたら今頃どうだったんだろうと、最近ふと思うことがある。定年まであと二年。でも、再雇用を希望すればプラス五年。六十歳からの収入は激減するだろうが、年金の受給額を勘案すればその方がかえって節税対策になったりもする。大企業の福利厚生はつくづくよくできているのだ。だから、あのままサラリーマン生活をまっとうしておけば、それはそれで安定した老後を送ることもできただろう。
 今後、公務員も民間のサラリーマンも定年が延長されたり、あるいは定年そのものがなくなるケースも増えてくるだろう。でも、どんなに人生100年時代になろうとも、企業の現場で活躍できる年齢のピークは厳然としてあって、それが創造的な職務であればなおさら、後進に道を譲らなくてはならない時期は早い段階で迫ってくる。

 自分の場合は、いつまでも現場のディレクターをやり続けたかったタチで、五十の半ば近くになってもそれなりに自分の能力に関しては自信を持っていたように思われる。誰よりもアイデアは出せるし、さまざまな見識はあるし、結果誰よりもセンスの良いディレクションができる。まだまだ「若いもんには負けん!」というやつである。でも、仮に能力的にはそうだったとしても、きっともう若い頃のようには、仕事仲間に対してチャーミングに微笑むことはできなかっただろうし、楽しげな会話を創り出し得なくなっていたのではないか。今思うとそんな気がする。「若いもんには負けん!」と思っているオッサンは一度、自分が仕事仲間とミーティングをしている風景を客観的に観察するべきだと思う。ほんとうにあなたは周りに対してネガティブな雰囲気を醸し出していないか? 

 さて。サラリーマンを辞めてひとりで仕事をしつつ、大学で教育と研究にも携わらせていただくようになった今は、ようやくこんな心境になれている気がする。前にいた会社の後輩たちがどんどん活躍して欲しいと思うし、仕事でごいっしょする仲間たちにはどんどん追い抜いて欲しいと。少しは成長したのかな?

 ちょっと前まではな、若いやつにはって気持ちがあったけど、最近はなんだか踏みつけられて乗り越えられることが快感になってきた。こいつはすごいな、俺より大物になるなって感じると嬉しくなってくる。むしろそういう奴がいないと、なんだまったくって思っちまう。
小路幸也『東京公園』(平成18年、新潮社)

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