naotoiwa's essays and photos

2019年01月



 小春日和な午後である。おまけに室内はたっぷりと暖房が効いている。眠くなる。このままこのソファで、猫のように丸まって眠ってしまおうか。

 室内の壁はグレイにくすんでいる。そこに、素描のカモメが三羽、飛んでいる。小さなスピーカーから、かすかな音でピアノが鳴っている。そして、花とベリーの匂いがする。大きな窓からは、通りを歩いてゆく何人かの横顔が伺える。奥にある小さな窓はハメ殺しの窓だ。

cloud

Elmar 3.5cm f3.5 + M8


 君はこの場所で、ずいぶん昔のことを想い出そうとしている。30年、いや35年も前の話。……でも、これはもう、どうやったって手遅れなんじゃないかと君は思い直す。みんな朽ち果ててしまったのだから。内も外も。

 暖房機の音がぼんやりと鳴っている。今なら、あの頃みたいにいつまでも眠り続けることができるんじゃないかと君は思う。花瓶に挿してあるドライフラワーもグレイにくすんでいる。スマホはどこかに忘れてきてしまった。君のタイムラインには当分の間なにもやって来はしない。



 事後になりましたが、ひとつお知らせです。今年に入ってから、早稲田大学の日本橋キャンパスでこんなことを始めています。以前からクリエイティブ・スタディーズということに興味があったので。

WS

 クリエイティブ・スタディーズ?……日本でも最近はこの名前を冠した学部を擁する大学が出来つつありますが、私が理解しているクリエイティブ・スタディーズとは……。

 これからの時代、たとえ表現の専門家にはならなくとも、どんな職業の方にとっても、アイデアを考えそれをカタチにしていくスキルを磨くことはとても大切なことだと思います。それは、職場でのコミュニケーション、家庭での親子の会話等、さまざまな人生の局面で日常の時間を well spent していくためのアート(技術)になっていくのではないでしょうか。

 そのための思考法をフラットにあらゆる人に解放する場をつくれたら、というのがここ数年の私の目標のひとつでした。自分が今まで広告制作の現場で、あるいは現在大学で体系化しつつあることをみなさんにお伝えしたい。その実践の場として早稲田大学さんが提供してくださったのがこの「おとなのための創造力開発ワークショップ」です。

 1月に開講しました。現在10人ほどのゼミ生が集まってくださっています。現役の学生さん、アートディレクター、企業でコンサル業務をされている人、大手企業のマネージャーの方などなど、職業も年齢も(20代から50代まで)さまざまです。みなさん、授業に対するモチベーションもとても高く、ちょっと今までに体験したことのない雰囲気のゼミナールに成長しつつあります。次は2月。毎回のカリキュラムを考えるのがとても楽しみです。



 あのメリー・ポピンズが帰ってくるらしい。2月1日から劇場公開。

 生まれて初めて映画館で見たのがメリー・ポピンズだった。次がサウンド・オブ・ミュージック。だから、小学生の頃、映画と言えば必ずジュリー・アンドリュースが出演するものだとばかり思っていた。そのくらいメリー・ポピンズとサウンド・オブ・ミュージックは自分にとって特別な存在だったのだ。my favorite things のメロディと歌詞が今もってあれだけ特別なものに感じるのは、最初に聞いたのが六歳か七歳だったからだと思う。こうしたことは、やはり何事にも替えがたい。

 さて、メリー・ポピンズと言えば、supercalifragilisticexpialidocious、である。困ったときのおまじない、スーパーカリフラジリスティスエクスピアリドーシャス。あるいは、a spoonful of sugar helps the medicine go down、である。現実の人生を楽しく生きるための処世術。




 今までの人生の中で、自分は何度この、supercalifragilisticexpialidocious と a spoonful of sugar helps the medicine go down と、そして、「when the dog bites, when the bee stings, when I'm feeling sad. I simply remember my favorite things and then I don't feel so bad.」をこっそり口ずさんでいろんなことを凌いできたことだろう。

 メリー・ポピンズ・リターンズ。二代目はエミリー・ブラント。さて、どんな魔女っぷりを見せてくれるのか楽しみである。









 根津美術館で「酒呑童子絵巻」を見る。

 ご存じ鬼退治のお話である。最後は源頼光と彼の率いる四天王たち(♪マサカリ担いだ金太郎♪の坂田金時とか)によって鬼の酒呑童子は首を刎ねられ成敗されてしまうが、住吉弘尚の筆による絵巻では、その前半に酒呑童子の出生の話も描かれている。酒呑童子は伊吹大明神の子であるらしい。で、その伊吹大明神の元を辿ると八岐大蛇(やまたのおろち)にまで行き着く。八岐大蛇が須佐之男命に敗れて逃げ込んだ先が伊吹山だと言うのだ。

 そうした解説を読んでいるとなんとも感慨深げな気持になる。なぜなら、伊吹山は我が故郷の山だからである。幼い頃、何度も電車の窓から眺め続けた山なのである。

 あの慣れ親しんだ伊吹山に鎮座していたのが八岐大蛇だったとは!……たしかに伊吹山は荒ぶる山だった。冬に東海道新幹線に乗っていると米原あたりから急に雪景色に転ずることが多いが、あれは伊吹山から吹き下ろしてくる雪のせいである。余談だが、亡くなった父親は伊吹山でスキーをしていて大けがをし、その時の輸血が原因でC型肝炎になった。

 夏にはよく父親に車で伊吹山周辺までドライブに連れて行ってもらったものだ。父親の実家が岐阜県の揖斐川町にあったからである。そして、そのまま滋賀の方まで抜けると、……伊吹山の向こう、滋賀県側には泉鏡花の小説で有名な夜叉ヶ池がある。ここに生息していたと伝わっているのも龍、すなわち蛇である。やはり伊吹山周辺にはなにやら「荒ぶるものたち」が存在していたのかもしれぬ。

 そんな故郷の想い出を辿りながら三つの異なった酒呑童子絵巻を鑑賞していたのであるが、絵画としては、狩野山楽の筆によるものが素晴らしかった。特に酒呑童子の住む館の庭の描写。異時同図法で描かれているのだ。春の桜も夏の緑も秋の紅葉も、そして冬枯れもすべてが同じ場所に共存して描かれている。異時同図法。……さまざまな時間帯に起こったことを同時に同じ構図の中に描き込む手法。その結果、この庭は異界の庭になると解説文には書かれていたが、私にはそれは「異界」というよりも「永遠」の崇高な世界に感じられた。

格闘

Planar 80mm f2.8 of Rolleiflex 2.8F + TX400


 角突き合わせ。




 1月19日と20日は大学入試センター試験の日。一昨年から大学教員になった関係で、このセンター試験がまた身近なものに感じるのであるが、思い起こせば、その前身である共通一次試験は自分の人生にとってずいぶんと因縁深いものであった。1979年、まさにこの共通一次試験の初年度にブチ当たってしまったのが我々世代だからである。この試験のせいで(あるいはおかげで?)自分の人生は当初の予定からは大幅な狂いが生じたようである。。
 現役の時、このマークシート方式の試験で思いのほか高得点が取れてしまい良からぬ欲が出た。で、生粋の文系の自分が医学部なんぞを受験してしまったのである。結果は見事に惨敗。浪人生活を余儀なくされる。一年後、今度こそはと初心貫徹で望んだ二年目の共通一次は、前年とはうって変わって散々な成績。第一志望だった国立大学の文学部が当時どういうわけだか一次重視を打ち出していたため、二次で一発逆転を狙える大学に出願をくら替えするしか方法がなくなってしまった。
 もしも現役の時、素直に当初の予定通りの出願をしていたら、いや、そもそも共通一次試験なんてものが実施されてなかったら、その後の自分の人生はどうなっていただろうと思うことがある。たぶん、サラリーマンにはなっていなかったのではないだろうか。順当に第一志望の大学に入り、そのまま大学院に残って英文学か仏文学の研究者を目指していた気がする。

 あれから三十余年後、企業の職を辞して大学教員の公募に応募しようと思ったのは、ひょっとして、あの18歳の時の想いがずっと残っていたからではないだろうかと思う時がある。そういう意味では、共通一次試験(=センター試験)は自分の人生を遠回りさせた、でも、その結果として当初の予定よりもかなり幅広く面白い風景を見せてくれた、やはり自分にとっては因縁深いものだったとつくづく思うのだ。

 浪人の時、京都の某大学の会場で共通一次を受験し、理科の答えあわせをしたら正解が半分も取れてなくて、悔しさやら怒りやら後悔やら、この先の人生への不安やら両親への申し訳なさやらで涙が止まらなかったあの寒い日のことを想い出す。

 受験生のみなさん。人生とはその都度オルタナティブなさまざまな選択をしていかなくてはならないものだけれど、最後の拠り所はみなさんの年頃にみなさんがなにを想ったか、その原点にあると思います。平凡なことしか言えないけれど、自分らしく、この寒い受験シーズンを無事乗り切って欲しいと切に願います。

hand

Planar 80mm f2.8 of Rolleiflex 2.8F + TX400


 hand.




 もうかれこれ二十年ほど、オールドレンズを蒐集して仕事に使ったりしている。ここ十年はオールドカメラ&レンズはけっこうなブームみたいで、ライカレンズをはじめとした海外ブランドモノは値段が高騰してオイソレとは買えないが、たまに格安の掘り出し物を見つけたりするとついつい買い足してしまう。で、そのほとんどが曇り玉である。

 中古カメラ店で「お客さん、その玉、スレ傷は多いけど曇りやカビはなくてスカッと抜けてるよ」などというセールストークをよく聞く。でも、そういうのはノーサンキューなのである。スレ傷はご勘弁。でも、曇りならばオーケー。何度もレンズクリーニングをしてその度に中玉にガサツなスレ傷ができているものよりも、一度もクリーニングしてなくて全体にぼんやりと白く曇った玉が好みなのである。

 スカッとクリアなレンズならば現代のレンズを買えばいい。オールドレンズは実用品ではあるけれど、やはり骨董。経年変化を素直に受け止めその風情を味わえばいいのだ。

 例えば、この1946年製のズミタール。戦後のものなのでコーティングもかかっているが、どうやら一度もレンズクリーニングには出されていない模様。それどころかあまり使われてなかったらしく、そのせいか鏡胴はピッカピカ。前玉のスレ傷も皆無。そのかわり中玉がしっかりと曇っている。逆光で撮れば紗がかかったようになる。ぜんぜんクリアじゃない。でもそれゆえにドリーミーな絵に仕上がる。粗であることを楽しめるのだ。そして、格安なのである。

紗

Summitar 5cm f2 + M9-P

dearest

G-Zuiko Auto-S 50mm f1.4 + OM-1n + APX400


 portrait of my dearest.




 三十代の頃大好きだった海外の現代作家と言えば、アントニオ・タブッキとミラン・クンデラ、そしてポール・オースター。今でもこの三人の作家の作品は読み返すことが多いが、今年に入って久しぶりにポール・オースターの新作(といっても実際に書かれたのはすでに10年前、柴田さんの訳の順番が遅れただけのこと)を読んだ。『インヴィジブル』である。昨年の秋口に日本語版が発売されたが、なかなか時間が取れないまま年を越してしまった。ポール・オースターの本を読むときは他の雑念を全部忘れて耽読したい。この三連休にようやくそれが実現した。

 なんとも悪魔的な小説である。どこまでがリアルなのかフィクションなのか、どこまでが誰のビジョンでどこからが別の誰かのビジョンなのか。すべてがまさにインヴィジブル。そして、そうした悪魔的な出来事(あるいは架空の物語)たちが、人生の晩年にあって回想されてゆく。それらは取り返しがつくのか、裁きは行われるのか、すべては忘却の彼方へと消えてゆくだけなのか。関わった人、残される人はなにを信じ、なにを疑えばいいのか。……ポール・オースターらしい多重で複雑な構成。けれども決して難解な文脈にはならない。怒濤のストーリーテリングで一気に読めてしまうが、その分、最後のページに至ったときに圧倒的な絶望感にさいなまれる。

 ほぼ同時期に書かれた「冬の日誌」もそうだ。人生の冬の時代を迎える準備を切々と考えさせられる小説だった。ポール・オースターは1947年生まれ。現在71歳。この小説を書いたときは62歳。

このページのトップヘ