2018年10月
十月桜
嫉妬とプライド
人間の心で最も制御出来ないのは、嫉妬とプライドだ。だけどその二つがないと人間には何も出来ない。それは生きるための糧でもあるから。
坂元祐二『往復書簡 初恋と不倫』より
almost
人生100年時代。これからは3ステージではなく4ステージで人生を考えるべきだといろんな人が言っている。それによれば、50歳からこそが円熟の第3ステージ。25歳までの第1ステージ、50歳までの第2ステージに仕込んできたさまざまなモノゴトを花開かせる時期らしい。
さて、今までの我が人生、たぶん、人並み以上にいろんなことにチャレンジし、さまざまな自分を多角的に創り出そうと努力してきたつもりである。そしてこれからも、それらを組み合わせ、まだまだ新しいことにたくさんチャレンジしていくつもり。少なくとも70歳までは現役を貫く。その気力は十分にあると思っているし、新しい未来の自分にワクワクしている。
でも、同時に、今までよくやった、もう十分かもしれない、これからは、ほんとうに新しいことなんか起こりはしない。……そう思っている自分もいたりする。
決して厭世的になっているわけではなく、でも、仮に寿命が100歳まで延びようとも、何かに相応しい季節というのはやはり決まっていて、我々はそれを安易に引き延ばせるものではないのだ。だから、もう。でも、まだ。……このところ、そんな錯綜した気持ちがいつも心の奥底に沈殿していたのであるが、吉田篤弘さんの小説「おるもすと」を読んでいたら、しっくりと合点がゆく文章に出会った。
もうほとんど何もかも終えてしまったというのに、どうしても自分はそれを終えることができない。
僕はそうして、もうずいぶんといろいろな物や事を忘れてしまった。忘れてしまったのだから何も覚えていない。ただ、少し前まではいまよりもう少し複雑な何かや、やきもきする気がかりなことや不安なんかを抱えていたように思う。
その他のほとんどのことは終えてしまったり忘れてしまったりしたけれど、わざと少し色を塗り残すみたいに、想像する思いだけは、手つかずのまま変わらないようにと願っている。
吉田篤弘『おるもすと』より
shrine
marron
雲
bus stop
ホテルから歩いてすぐの大通りでバスを待っていたのに、どれもこれも行き先が違う。尋ねてみると、セントラル行きの停留所は別の通りにあると言う。ホテルに戻りコンシェルジュに地図を書いてもらうことにした。「わたくしどもの敷地の中を抜けていってください、シニョール、その方が近道ですから」……シニョール? どうやらここはイタリアのどこかの街らしい。
ところが、地図に書かれてあった抜け道をたどっていくと(それは、ホテルの棟と棟との間の細い道を指している)、途中に大きな岩が置かれてあって、no enterの立て看が添えられている。いい加減なことを言うコンシェルジュだ。
バスになんか乗らなくとも、自分だけなら何の問題もない。歩いてもせいぜいが30分ほどの距離なのだから。でも、今回は母親連れ。母親は脚が悪いのだ。
部屋に戻ってバス停が見つからなかったことを母親に告げると、「そんなこと、構やしない」と彼女は言った。「あたしはあんたといっしょにいられさえすればそれでいいのだから」と彼女は言った。「あんたに旅行に連れてきてもらうなんて何年ぶりのことだろう?」「でも、ピンチョの丘とか、スペイン階段とかに行ってみたいだろ?」と私が言うと(どうやらここはイタリアの、しかもローマの街らしい)、「そんなの、ぜんぶここから見えるさ」、そう言いながら彼女が部屋の窓のカーテンを乱暴に開け放すと、たしかにそこから、ローマの街のすべてが見渡せた。私は窓の外に上半身をせり出すと、深呼吸ともため息ともつかぬそぶりを見せる。
「相変わらず、秋が嫌いかい?」と彼女が私に尋ねている。「こんなに空気が澄んでいるのに、こんなに空が高いのに、こんなに木々の色がきれいなのに?」「……ああ、だって、あとにはもう、冷たい冬しか残っていないからね」と私は答える。それを聞いて「まだ生きているくせに、生意気を言うんじゃない」と彼女は言った。……死んだ母親は、そう言った。
という夢を見た。
Summilux 35mm f1.4 + M9−P