2018年09月
no enter
絵葉書と電報
久しぶりに絵葉書なんぞが届いた。古い友人からだ。海外に転居することになったらしい。スイスだかどこだかの風景写真の裏に、肉筆で「元気?」とか「お互い年とっちゃったね」とか「でも、落ち着く気なんてまだまだないから」などと書いてある。絵葉書か、と僕は思った。昔はこれを使って恋人たちは、旅先から「会えなくて寂しい」だの「離れてみてわかったけれど、やっぱりあなたのことが好き」だのなんだのと書いて送り合っていたものだ。手紙は封書なので本人しか読めないが、絵葉書だと文面丸見え、郵便配達の人も読もうと思えば読めてしまう。でも、このプライベートの晒し方晒され方、悪くなかったなあと思ったりする。それに引き換え、イマドキの手紙と言えば電子メールやSNSのチャットになるのだろうか。絵葉書はそれにインスタグラムを付け足したようなものだ。メールは完全にパーソナル、SNSの場合は全部オープンにすることもできるし設定は変幻自在である。でも、プラットフォームの管理者はその気になれば個々のメールも全部読めるわけだし、我々のプライバシーは極めて機械的に失われてしまっている。グッドバイ・プライバシー。
絵葉書に限らず、ここ二十年でコミュニケーションは劇的に変化した。例えば電話。今では公衆電話なんか誰も利用しないし、家の固定電話すら持たない人が多くなっている。でも、主が不在の部屋の中で、その人を求めて誰かがコール音を鳴らし続けるからこそドラマは生まれるのであり、この世界から「不在のいとおしさ」みたいなものが失われていっている気がする。果たしてこれがコミュニケーションの正常進化と言えるのだろうか。
ああ、そう言えば。昔は電報なんてものもあった。もちろん今でも冠婚葬祭等には使われているのだろうけれど、プライベートに電報を使う人などめったにいないだろう。恥ずかしながらワタクシは、昔々、ガールフレンドに電報でメッセージを送ろうとして係の人に文面を読み上げられ復唱されてメチャクチャ気恥ずかしい思いをしたこともある。でも、あれも今から思えば、晒し方晒され方は悪くなかったように思うのだけれど。
pine tree
かくれんぼ
好きは、好き。
自分は本当のところ何になりたかったのか、という自問自答ほど詮なきことはないのであるが(ちなみに、自分の場合はなりたいものはいくつもあったし、不遜にも50の半ばを過ぎた今になっても、まだまだこれからもいろんな可能性があると脳天気に思っていたりするのであるが)、改めて思い返してみると、二十歳前後の頃に一番なりたかったのは学芸員でも学者でも広告のクリエーターでもなく、ひょっとしてドラマの脚本家、演出家だったような気がする。新卒の就活ではテレビ局が第一志望だった。結果は全滅だったけれど。当時は民放の倍率が天文学的数字であったこともあるが、生意気にも面接で、報道もバラエティもイヤ、ドラマのディレクター志望一筋です、で貫いたせいもあるだろう。最終面接までいったところもあったが、けっきょく全部落とされた。だからといって22歳でいきなりフリーの脚本家・演出家を目指す勇気はなかった。目の前の生活があったし。
大学生の頃、脚本家になりたいと思ったのは、たぶん向田邦子さんのせいである。彼女の書く台詞、そして彼女の生き様そのものに憧れていた。
脚本家とは、丹念に slice of life を描きつつ、そこに人生の箴言を滲ませた魔法をかけることのできる人のことだと思う。現代の脚本家の中では、木皿泉ユニット、源孝志さん、岡田惠和さん、坂元裕二さんあたりがとりわけそうした魔法のかけ方がうまい。
先日のブログにも書いたが、1991年のドラマ「東京ラブストーリー」にも坂元裕二さんが魔法をかけた見事な台詞がたくさん出てくる。有名なところで言えば、
「誰も居ないから寂しいってわけじゃないから。誰かが居ないから寂しいんだから」
「どんなに元気な歌聴いても、バラードに聴こえる夜もある」
あたりだろうが、個人的には、赤名リカが語る「好き」の定義というか、それってリクツじゃないと関口さとみに語る場面のやりとりがストレートだけど秀逸で、当時、ノオトにメモした覚えがある。
「(カンチのこと)好き?」「いっしょにいたい……」「好き?」「淋しいとき、哀しいとき、いちばん会いたい……」「好き?」「でも、それって好きってことなんでしょ?……」「好きは好き、よ」
坂元さんは当時まだ二十代。天才脚本家である。
飛翔
無茶
フジテレビが「東京ラブストーリー」の再放送を始めた。10月から放送される織田裕二と鈴木保奈美の共演復活を記念してのことらしい。「東京ラブストーリー」、1991年の作品だから27年前。
赤名リカが好きだった。物言いに茶目っ気があって、でもとっても詩的で。やることがハチャメチャで、でもとっても一途で可憐で。例えば、落ち込んだカンチを元気づけようと(と同時に自分に振り向かせようと)道端に積み上げられていたドラム缶を思いっきり足で蹴ってひっくり返し、逃走する。満天の星空が見える場所まで。
1991年と言えばバブル経済最後の年。その翌年あたりから時代がずいぶんと変化していった。経済的なことについてはあまり興味がないが、人々の生きざまは(ってちょっと大げさですね)、この年を境にして大きく変わっていったように思う。ひと言で言えばそれは、無茶をするかしないか、である。
そう言えば、バブル経済始まりの頃の映画「私をスキーに連れてって」の中に「無茶しないで何が面白いのよ?」というセリフがある。凍結した路面で真理子がヒロコに賭けラリーを持ちかける場面だ。「凍ってるね」「丸池まで5000円」
赤名リカがドラム缶をひっくり返してカンチの手を取り逃走するのを見て痛快なのは、彼女が自分のピュアな気持に殉じて「無茶」しているからだ。
1991年と言えば自分が三十歳になった年。自分も「無茶」ばかりやっていたあの頃のことを久しぶりに思い出させてくれた。やはり人生、時には「無茶」することも必要なのではないかと思う。それはもちろん人に迷惑をかけることでは決してなく、自分自身の心に正直になり、自分自身を解放するための「無茶」だ。
夜のお礼
僕は一軒のカフェに住むことにした。もう少し正確に言えば、売りに出ていたカフェを買い取って、そのままそこに住むことにしたのだ。
そのカフェは平屋の一戸建てで、ずいぶんと年期の入った木造の洋館である。おそらく築三十年は経っているだろう。屋根と玄関のドアはあるけれど、壁はない。もう少し正確に言えば、建物の側面には、白い木枠で囲まれた大きな窓ガラスが何枚も連続してはめ込まれているだけなのだ。これで構造的に大丈夫なんだろうか。……でもまあ、万が一地震が起きてもドアを開ければそこはもう広大な緑の中だし、家具に押しつぶされりしなければ死ぬこともないだろう。
そのカフェは、町の南に広がる広大な森の入り口に建っていた。以前はけっこう繁盛していた店らしい。けれど、五年前にオーナーが亡くなり相続税が払えなくなった際に売りに出されたようである。「でも、それからずっと、買い手が付かないのです」と不動産屋は言った。建築規制がかかっていて建て替え不可の物件なのだ。と同時に公園法が改定されて(この森は東京都の公園に指定されている)、ここでの飲食業の営業ができなくなった。「つまりは、このままの状態で、しかも店舗としてではなく、ご自宅として使ってもらうしかないのです。もちろん、法令に反しない程度の内装の変更は可能ですけれど」と淡々とした口調で不動産屋は言った。そう説明すれば、この客もすぐに興味を失うだろうと思っていたにちがいない。
「理想の物件です」と僕は言った。不動産屋は怪訝な顔をした。「そういうのが理想でしたから」「……はあ?」ずいぶんと酔狂な客だと思ったことだろう。建築条件付の物件ということでもともと価格も相場よりは安かったが、不動産屋はさらに値引きをしてくれた。
このカフェで、僕はひとりで暮らしている。奥まったところにあるトイレとシャワーブース以外、空間全部がガラス張りのワンルームみたいなものである。アイランド型の厨房とその前のカウンターはそのままキッチンとして使い、二人がけのカフェテーブルと椅子のセットは、いろいろ組み合わせて、大きめのダイニングテーブルと、書き物机と読み物机(このふたつは僕は今までも明解に区分している)に誂えた。新しく買ったのはベッドとソファぐらいのものだ。備え付けの小さな書棚だけでは膨大な量の本は収まりきらず、それらは床のあちこちに平積みになって散乱している。
ブラインドを付けたのはベッドを置いた一画だけだ。あとは全部外から丸見え。昔ながらの古風なガラスが嵌め込まれた窓から入ってくる光は、森の緑色に染まってキラキラ輝いている。その美しい景色を無粋なブラインドやカーテンで閉ざしてしまう気にはどうしてもなれなかったのだ。そして雨の日は、ガラスに付いたたくさんの水滴が不思議な文様をつくる。天井に開いた三つの穴から雨漏りがするけれど、そこに大きめの陶製のカップを置けば、ポチャン、ポチャンと柔らかなリズムを打ってくれる。
五年以上誰も住んでいなかった建物だが、窓を開け放せばすぐに黴臭い臭気もなくなる。それどころか、時折ふっと甘い香りがする時がある。森に咲き始めた薔薇の香りが外から紛れ込んでくるのか、あるいは、飴色のカフェテーブルにいつかのだれかの匂いが滲んで残っているのか。
夜になれば、月が出てない日でも、森の所々に置かれた街灯が柔らかなぼんぼりとなって光っている。そのお返しにと、僕はイルミネーションの豆電球のスイッチを入れる。入り口のドアの前に季節外れの樅の木を置いて、それを電飾で飾ったのだ。
Summicron-C 40mm f2 + GXR
それを合図に毎晩僕はベッドに入る。森の中にいろいろな生き物たちがうごめいている。彼らの声と気配に包まれながら、僕はここで、規則正しく静かににこやかに生活を続けていく。
喜び過ぎず悲しみ過ぎず テンポ正しく 本なら熟読 人には丁寧
わたしは なんにも腹が立たない
うろ覚えのナカハラチュウヤの詩を所々はしょって口ずさみながら、僕はここで、規則正しく静かににこやかに生活を続けていく。