2017年10月
夢の中で私は。
何度も何度も同じ夢を見る。
昔借りていたアパアトの部屋が、契約解除されないまま何十年もずっと放置されているという夢である。数十年分の家賃が未納で、今になってその精算を余儀なくされるという夢である。
夢の中で私は、自分にはもうひとつ帰るべき場所があったことを思い出す。しかし、そのアパアトがどのあたりに建っているのか、おおよその見当は付くのだけれど、実際にはなかなかたどり着くことができない。周囲が同じような路地ばかりで見分けが付かなかったり、建物が大きな木の陰に隠れてしまっていたり、部屋が半地下にあったり。だからいつも見過ごしてしまうのだ。
夢の中で私は、今日はどちらの部屋に帰るべきなのか思案する。明日の朝の都合を考えると、今夜こそあちらの部屋に泊まった方がいいのではないか。そう思いながら、錆び付いた部屋の鍵をズボンのポケットの中で右手でぎゅっと握りしめる。
夢の中で私は、その部屋のドアを開けた瞬間、目の前に現れる情景を想像する。床に机にベッドに、数十年分の埃が白く静かにつもっている情景を。そして、やがて、その部屋の片隅に、ある若い男の姿を見つけだす。やあ、とそいつは私に話しかけてくるだろう。どこか馴れ馴れしく。そのくせ拗ねたような目をして。
ミッドエイジ・クライシス
この年になると、自分を含め、同世代の仲間たちのこれからの人生の行く先が、そろそろなんとなく、いや、けっこうはっきりと見えてくる。60歳を過ぎてのリカバリーはさすがに難しい。50代後半はラストチャンス。
ミッドエイジ・クライシス。これが起きるのは通常40代。でも、人生100年時代ともなると、10年くらい後ろに倒れて50代半ばあたりがミッドエイジ・クライシスのピークとなる。定年まであと5年。その前に役職定年。もちろん定年後も再雇用は可能であろうが大幅な賃金カットが待っている。
不動産や株の資産運用だけで生きていけるのなら幸せである。でも仮にそんな恵まれた環境にあったとしても、人間はそうたやすく無為には生きてはいけぬ。「生きがい」という曲者が心の中にいつも巣くって「やりがい」を求めてあがき続ける。
自分は数年前に企業の職を辞し、これからはひとりで生きていこうと決めたのであるが、今思うとあれも自分なりのミッドエイジ・クライシスだったのかもしれない。
フリーになると、自分が今まで企業の肩書きでどれだけ甘い恩恵を受けてきたかがよくわかる。あの程度の働きだったら年収はせいぜいが1/3だろう。日本の大手企業のサラリーマンはつくづく恵まれていると思う。でも、それはいつまでも続かない。人間最後はひとりきりでなのである。自分だけのパフォーマンスで生きていくしかないのである。
以前から「あいつはどこか人間嫌いなところがあるからなあ」と上司や先輩から言われたことが何度かある。そう思われているのならそれで構わない。ふだんから「私は人間のことが好きで好きで」などと言っているより、他人から「人間嫌い」と思われながらも人とのコミュニケーションに一喜一憂している方が、たぶん、嘘はずっと少ないように思うから。。
それとも、こんなふうに考えること自体が、あまのじゃくで人間嫌いなんですかね?w
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能面
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筑前小京都
福岡の大学の先生にご案内いただいて朝倉市を訪れた。筑前の小京都と言われる秋月城址のある町である。秋月街道旧八丁道の先にある「だんごあん」、ここの清流沿いはマイナスイオンがいっぱいである。
あるいは、フォトスポットで有名な秋月城址黒門の先にある秋月八幡宮。ここは、巨大な楠が鎮座するパワースポットである。露天で売っている柿をその場で囓ってみる。なんと瑞々しいことか。博多から車で一時間弱のところにこんなにのどかで情緒溢れる場所があったとは。
でも、ここ朝倉市は今年の夏の集中豪雨で土砂災害が特にひどかったエリアである。市のシンボルとなっている三連水車近くにも土石に埋もれたままの自動車が今もそのままの状態で残っていた。
朝倉市と福岡の大学が取り組んでいるプロジェクトのお手伝いが少しでもできればと思い、今回この朝倉市を訪ねさせていただいたのであるが、この自分にいったい何ができるというのだろう。最近は、アートやデジタルテクノロジーを活用した地域創生をテーマに講演をさせていただくことも多いが、こうした光景を目の当たりにすると己の無力さを認識するばかりである。
what to say と how to say
大学の所属がコミュニケーション学部ということもあって、授業で学生の皆さんたちと what to say と how to say についてともに考える機会も多い。what to say と how to say、どちらが大切?と尋ねると、どちらも大切と答えてくれる。そして、その大切さの割合は相手に応じて状況に応じて変化させるべしと。アッパレな回答だと思う。また、中にはこんな風に答えてくれる学生さんもいる。大人になるにつれて、どんどん how to say の大切さの比率が高まってきているように感じますと。なるほど。
で、私はというと、彼ら彼女らより既に倍以上歳を取っているので、how to say の大切さというか、その恐ろしさを嫌ほど知っている。ものは言いようで状況がいかようにも変わることを、思っていたことの正反対のニュアンスが相手に伝わってしまうことも知っている。
でも、それだからこそ、本当に我々は what to say だけでやっていくことはできないものだろうかと、このトシでなんとも青臭いことを思ったりもする今日この頃なのである。how to say、ものは言いようのせいで起きうる人間のドラマツルギーは面白い。危険は孕んでいるけれどその分面白い。コミュニケーションとは、自分が何を言いたいかではなく、相手がそこからなにを感じ取ってくれるかこそがポイント。そんなことは百も承知の上で、でも改めて、本当に我々は what to say だけでやっていくことできないものだろうかと、最近つくづく思うのである。そして、たぶん、意識的にここ十年ぐらい、それが少しでも可能になるよう自分なりに人生のシフトチェンジを行ってきた気がする。自分の考えをどうやって相手に通すかとか、相手の考え方にいかに自分をチューニングさせるかとか、そうした算段で右往左往させられる時間を極力減らしていきたい。五十歳を過ぎてからは特にそう思うようになってきた。
どんな相手に対しても真摯に丁寧に。それだけを心がけて、互いにきちんと自分の思うことを伝え合うだけでは本当にダメなのか。…そういうのはやっぱり甘いのか?あるいは刺激がなくてすぐにつまらなくなってしまうのか?
昔読んだ小説に、心が弱くて、でも心の正しい人たちだけが暮らしている町のことを書いていた作家がいたが、あれは誰だったか。やはり太宰治あたりだったか。