八月も終わりである。今年は例年になく、なんとも切ない気分になるのはなぜだろう?蜩がカナカナカナと既に鳴き始めているような気分。…で、ハタと気が付いた。そう、大学のせいである。今年から大学の教員をやり始めたせいである。五十も半ばを過ぎているというのに、また若い学生並みにカラダとアタマが「夏休み」を意識するようになってしまっているのである、たぶん。
そう言えば、昔々のあの頃は、8月の終わりといえば朝のラジオ体操もそろそろオシマイ、家族で出かけた旅行の際の日焼けもさめてきて、あとはひたすら夏休みの宿題の追い込みのみ。ああ、これでもう休みが終わっちゃうのか。9月からまた学校。せつないなあ。カナカナカナ、という気分だったのである。それがまたこの年になってリマインドしてきているのである。サラリーマンをやっていた30年間はすっかり忘れていた気分である。
それにしても、夏休み。なんて蠱惑的な響きの言葉であろうか。
中学一年生の頃の愛読書(というのも手元の旺文社文庫(!)の出版の日付を見てみたら昭和48年となっていた)、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」に出てくる、試験に合格したハンス・ギーベンラートのこのセリフが好きだった。
これでこそ夏休みだ!山脈の上にはリンドウの花のような青い空がひろがり、何週間も太陽が輝く暑い日が続き、ただ時折り激しく短い雷雨がやってくる。川への道は砂岩のかたまりがごろごろして、樅の木陰におおわれていたり、せまい谷間もあったが、それでも川の水はすっかりあったまって晩方まで泳ぐことができた。
ヘルマン・ヘッセ「車輪の下」岩淵達治訳
かくのごとく、夏休みは始まり、そして8月の終わりにそれは幕を閉じる。かつてのあの気分を再びこの年になって味わえるとは、なんだかちょっぴり嬉しいような恥ずかしいような。