naotoiwa's essays and photos

2017年05月



 国分寺にある大学に通い始めて、丸二ヶ月が過ぎた。今までの個人の仕事を続けつつ、大学での授業と(その準備と)研究と行政業務というのは、予想はしていたものの、かなりハード。(ま、このくらいで音を上げるつもりは毛頭ないけれど)でも、体調は悪くない。むしろ前より良くなっている気がする。たぶん、場所のせい。大学がとても「気」のいい場所にあるからだと思う。

 大学の敷地の南側を、例の国分寺崖線が貫いている。ハケ下から武蔵野台地に至る坂を登っていく途中に研究棟のいくつかが建っている。眼下には湧水池。このあたり一帯は、明治から大正の初期にかけて政財界人の別荘群が数多くあったところ。すぐ近くには犬養毅ゆかりの滄浪泉園がある。波多野承五郎氏の別荘跡。ここにも深い湧水池がある。

ハケ

CANON S120

 一帯がマイナスイオンに満ち満ちている。そして、入りくんだ迷路のようなハケの道が武蔵野の原風景への想像力をかき立ててくれる。この周辺はまさに、大岡昇平「武蔵野夫人」の舞台なのである。

 ドルジェル伯爵夫人のような心の動きは時代おくれであろうか。(ラディゲ)
『武蔵野夫人』より


 

campari

Elmar 5cm f3.5 L + Ⅱf + Lomo100


 like a summer.


movie theater

P.Angenieux 25mm f0.95 + E-P5


 movie theater.




 若いヤツはいいよなあ。…人間、誰も年を取ると、ついつい若さを羨んだりするもので、確かに彼ら彼女らの未来は、既に折り返し点をとうに過ぎてしまった我々のこれからとは比較にならないほどさまざまな可能性に満ちているだろう。

 若さへの嫉妬ばかりではない。同世代の友人と話していると、我々の世代はつくづく損な世代であるなあ、いう話に及ぶことがある。上は「団塊の世代」にブロックされ、下は「新人類世代」に棚上げされ続けてきたのが我々「しらけ世代」であると。まあ、その通りかもしれない。でも、私個人は、実は我々の世代ほど恵まれた世代は他にないのではないか。…そう思うことがある。生まれた時には既に戦争の残滓もなかったし、青春を過ごした70−80年代、我々は大地震におびえることも原発事故におびえることもなく、日本中で、そして世界中で自由を満喫できたのだ。世界には憧れるものがたくさんあったし、毎日の生活はリリカルな情趣に充ちていた。

 今の若いヤツのこれからも、我々の世代が得た未来(すなわち現在に至るまで)以上に、なんの憂いもなく、たくさんの輝かしい可能性に充ち溢れたものになればいいのだけれど。平均寿命は100歳を超えるかもしれない。グーグルレンズみたいなのがアタリマエになって、リアルとヴァーチャルが融合する世界をサイボーグみたいに生きられる時代になっているかもしれない。でも、どうだろう。…我々が味わえた憂いのない未来が今後も実現する保証なんてなにひとつないのだ。

 若いヤツのことは確かに羨ましい。でも、我々ばかり先にいい時代を過ごしちゃって申し訳なかったねえ。バブル時代もあれはあれでかなり楽しかったし。悪いねえ、いいとこ取りしちゃって、と思うことの方が多いかも。

 初めて憧れのヨーロッパの国々を巡った時、ソニーウォークマンにセットされていたのはこのアルバムだった。1983年。





 大学で担当しているゼミの名称を「ひとと違ったことを考えられるようになる、ためのゼミ」あるいは「ひとと違う考えをカタチにできるようになる、ためのゼミ」としてみた。ちょいと気に利いた風なことを言ってみたくなるのは良くも悪くも広告業界育ちのせいであるが、この、ひとと違う自分、なんて言い回し、ほんとうはそんなに容易く実務的に使う言葉ではないと思っている。たぶん。

 だって。あなたとわたし。もともと違っているのがアタリマエなのである。どんなに同じような体験を重ね、同じような生活を送り、同じような記憶を脳に蓄積していようとも、あなたとわたしは最初から計り知れないほど違っているのである。きっと。感じていることを言葉にしたり絵に描いたりしてみると、うまく意思疎通もできるし、似たもの同士なあなたとわたし。でも、あなたがほんとうに今なにをどう感じているのかはわたしには永遠に理解できない。なぜならば、あなたとわたしとでは、それぞれが抱え込んでいるクオリア(感覚質)が根本的に違うはずだから。たぶん。

 だから、安易に「Be different」とか「ひとと違ったことを考えられるようになるためのテクニック、あるいはスキル教えます」などと口にする人間(私のことである)なんぞは信頼してはいけないのである。ではなくて、その人間がどのくらい複層的にそうしたことを口にしているのか、隠喩のそのまた隠喩まで想像してくれることを、その人間は期待しているのである。きっと。

 はてさて。ところで、うちのこの犬はどんなクオリアを抱え込んで世界を認識しているのだろうか。地上30センチぐらいのローアングルから見る世界。人間の100万倍以上と言われる嗅覚で嗅ぎ取るこの世界。はたしてそれらはどんな世界なのだろう。そうしたことを想像するのも動物を飼う楽しみのひとつである。

dog

Zuiko 40mm f1.4 + PEN FT + Lomo100



night mist

FE Sonnar 55m f1.8 + α7s


 night mist after rain.


藤棚

Zuiko 40mm f1.4 + PEN FT + Lomo100


 藤棚。


bamboo shoot

Kinoplasmat 25mm f1.5 + E-PM1


 bamboo shoot.






 池澤夏樹さんの「キトラ・ボックス」を読んでいる。3年前の「アトミック・ボックス」の続編。話の内容は全然違うけれど、共通しているのは、どちらも大学の若き研究者たちが主人公のミステリー小説であるということ。池澤夏樹さんの深い素養に裏付けされたミステリー小説というだけで、これはもう読み手としてはかなりシアワセなのであるが、そこに大学研究者たちのピュアな発言や行動が重なって、読み進むうちになんとも爽やかな気分になってくる。

キトラ・ボックス


 さて、大学教員の末席に加えさせていただいてからまだ一ヶ月も経っていないが、同僚の先生たちの会話に接していると、同じ爽やかさを感じる今日この頃である。彼ら彼女らは「個」としての自分の判断を最大限大切にして、そして常にそのことに責任を持って行動している。組織はもちろん大切。円滑かつチャレンジングなこれからの大学経営を行うためにそれぞれがベストを尽くす。でも、最終的な判断の拠り所は個々人の価値観と美意識なのだ。組織の側もいったんその人の専門性とコミュニケーション能力を信頼したのなら、徹底的にその人の裁量に任せ切ってくれる。そして、そのことは若き専任講師に対してもベテランの教授に対してもまったく同じ。フラットなのである。

 話が逸れてしまったが、「キトラ・ボックス」の主人公たちも、自分自身の価値観と美意識と正義感で行動する若きピュアな研究者たちだ。古代史研究でも造詣が深い池澤夏樹さんの歴史ミステリー小説、結末やいかに?

big toe

Zuiko 40mm f1.4 + PEN FT + Lomo100


 big toe.


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