naotoiwa's essays and photos

2017年03月



 世界の公用語は今ではもう圧倒的に英語であるが、例によってあまのじゃくな私は英語以外の言葉に憧れ続ける。その中でも、もしもこれからマスターすることができたらと思うのはロシア語である。大好きなチェーホフを原語で読めたら。ギリシャ正教会のミサの言葉を原語のままで聞き取れたら。でも、ロシア語、発音があまりにもムズカシイ。全くもって聞き取れない。せいぜいがプリヴィエートどまりである。そして、あのキリル文字。ギリシャ文字のようでギリシャ文字でない。なんとも暗号めいたあの書体。マリア・シャラポアのマリアはМариа。チェーホフはЧехов。

 話は脇道に逸れるが、そのキリル文字の美しさ不可思議さを堪能するためだけにこのレンズを買った。ヘリオスの44−2。オールドレンズファンにはよく知られたレンズで、ツアイスのビオターのデッドコピーである。安価にぐるぐるボケを堪能できるレンズとして有名。で、このヘリオス(ギリシャ神話の太陽神の名前である)、通常のものはHELIOSとアルファベット表記がされているのであるが、ベラルーシのMMZ工場で作られたものだけはキリル文字で表記されている。すると、HELIOSがГEЛИOCとなるのだ。これはもう、名前だけで謎めいた写真が撮れそうであるw

HELIOS




 すみだ北斎美術館へ行ってきた。今年に入って二度目。二十年来の大切な友人がこの美術館の開設の段階からずっと運営に携わっている。

 今回はピーター・モースコレクション。どれも素晴らしかったが、中でもこの作品が群を抜いていた。富嶽三十六景の武州玉川。大判の錦絵である。なんというモダンな構図であろう。乳白色の「すやり霞」が空間と時間を構成主義的に転換している。そして、空摺(からずり)。川面の波模様の一部に敢えてインクを乗せずにエンボス加工のみしてあるのだ。現物を間近で眺めて思わずため息。画狂人北斎がいかにモダンアーティストであったかはこの作品を見ればわかる。

空摺


 友人が、もうひとつ、空摺を使った作品を教えてくれた。こちらは土佐日記を題材にした小品で、舟の舳先に佇む女性の手からこぼれた懐紙が風に舞っているさまが空摺で表現してある。なんとメタフィジカルな詩情に溢れた作品であろう。

 大満足のすみだ北斎美術館。ピーター・モースと楢崎宗重二大コレクション展は4月2日まで。


silhouette

Summicron-R 50mm f2 (1cam) + α7s


 silhouette.


富士見

M Rokkor 90mm f4 + M9-P


 富士見。




 今日は56回目の誕生日である。東京ではすでに数日前に桜の開花宣言が出たようだ。あと一週間もすれば春爛漫となるだろう。

sakura

M Rokkor 90mm f4 + M9-P


 この季節になるといつも思う。春に生まれるというのはどうなんだろうと。犬や猫で、春に生まれた子は春子と呼ばれる。暖かくなってから生まれた子なので丈夫だという説もあるし、季節の移り変わりに生まれた子は心身ともに不安定だという説もある。人間の場合はどうなんだろう。生まれた子も、そして産んだ母親も。春に子供を産むというのは真冬や真夏や秋に比べてどうなんだろうと。

 ふと気になって、自分が生まれた年の桜の開花日、満開日を調べてみた。今では過去数十年分の気象データがネットですぐに閲覧できる。便利な世の中になったものだ。で、それによると、その年の桜の開花日は4月2日、満開日は4月7日となっていた。自分が生まれた日は最高気温13度、最低気温は1度。まだまだ寒かったようである。母親が病室の窓から眺めた向こうに、残念ながら桜の花はまだ咲いてなかったようだが、昭和36年の桜の季節に三十二歳で長男を産んだ母親が、いったいなにを思いなにを感じていたのか。そんなことをふと思う今年の誕生日である。

old

Color Solinar 50mm f2.8 + α7s


 I saw you last night and got that old feeling. When you came in sight I got that old feeling.





 突然ですが、「スーパードットなひとになる。」というタイトルの本を上梓することにしました。(発売は3月24日予定)電子出版および紙媒体はPOD(プリントオンデマンド)にて。

super dot pink


 スーパードットなひと。卓越した専門性を持ちつつ、専門以外の分野においても貪欲に自分自身のコンセプトと表現を探し出すマルチプレーヤー。そして、 あらゆるリベラルアーツに対して自分なりの美意識を持っているひと。そうしたスーパードットなひとたちが互いにダイレクトにつながりあって、世界中に張り巡らされていくクリエイティブのネットワーク。それこそがこれからの時代をつき動かしていく原動力になる。もう、組織の時代じゃないような気がします。組織の論理ではイノベーションは起こらない。デジタルファブリケーションが進化した現代だからこそ、もう一度「個」の時代がやって来るのではないでしょうか。
(本文より)


 ま、自分で言うのもなんですが、全編通じて、組織論とか既存の枠組みとかにあまのじゃくな著者がいかにも言いそうな文言がたくさん並んでいる本でありますがw これらは、ここ数年、私がさまざまなテクノロジストやアーティストの方々とのお付き合いを通じて感じてきたこと、彼らからいただいた言葉のいくつかから示唆を受けたことを今の自分なりにまとめてみたものです。

 特に、これからさまざまな「表現」に携わっていく若い人たちに読んでもらえたらと思います。いや、年齢は関係ないですね。思考し表現することに貪欲であり続けたいひとはすべて、心の片隅にいつもスーパードットな輝きを持ち続けていてほしいです。もちろんそろそろりっぱなシニア世代である自分への自戒も含めて。

 30ページ程度の本なので一気に読めます。ご興味のある方はどうぞ。ただいま絶賛予約受付中、だそうです!

sakura color

Summicron 50mm f2 4th + M9-P


 sakura color.




 最近のクルマ。エンジンはスタートボタンを押すだけ。イグニッションキーを捻る、なんてシズル感はもはやない。アイドリング時にはエンジンは自動的にストップ。これ、燃費改善にはとてもいいことなんだろうけど、停止の度にエンジンスタートとストップを繰り返されるのは慌ただしくてしようがない。各種コントロールは液晶画面のタッチパネルで。スマホ感覚?いや、これはもうスマホそのもの。でも、液晶が壊れちゃったらどうするんだろう。空調すらコントロールできなくなるのでは。そもそもがこのリモコンキー、コイツの電池が消耗したら、ドアは開けられないわエンジンはかけられないわの全くの機能不全に陥るわけで、緊急時の対応力という点ではどうなんだろう?

 最近のクルマのデザイン。外観がカッコいいのものもあるけれど、現代のクルマはみんな、構造的な見地からすればデザインが破綻していると感じるのは私だけだろうか。重いエンジンやシャシーを搭載したクルマというのは基本は鉄の塊。それなのに、それに組み合わせる部材が厚ぼったいプラスチックや樹脂類ばかり。これは、全体の軽量化や安全上の衝撃緩衝のためには正常な進化だとわかってはいるものの、メカとしての素材の統一感がまったく感じられなくなってしまった。インテリアのハリボテ感がそれを象徴している。これはどんな高級車だろうと大同小異。

 とまあ、ブツブツ文句ばかり言っていてもしようがない。次のクルマは便利な情報家電と割り切って選ぶしかあるまい。で、60歳になったら、ジャガーのE-typeとかメルセデスのバゴダとかアルファロメオのジュリアとか。そのあたりの美しきヴィンテージものをセカンドカーに。そんな日々が訪れることを夢見て、日々の仕事に励むといたしましょう。。



 もうあと二週間もすれば春本番。関東地方の染井吉野の開花予想は三月の二十三日頃。いよいよ待ちに待った桜の季節の到来である。でも、元来があまのじゃくな私は、春本番の前に先走る早咲きの桜たちが気になって仕方がない。寒緋桜、寒桜、河津桜。一月から三月上旬にかけて満開になる桜の品種は意外とたくさんある。

 毎年思う。どうして彼らは、まだまだ寒いこの時期に先走って咲いてしまうのだろうかと。元来が寒さに強い品種なのか。寒さを好む品種なのか。あるいは、かつて温暖な気候のもとで育ったものを移植したために、それからずっと体内時計が狂いっぱなしになっているのだろうか。

 まあ、理由はともあれ、あの独特の春の温気が漂い始めるまで、もう少し待ってみればいいものをと思う。でも、寒空に凛として咲く桜は、これはこれでアッパレだ。今朝は、オカメ桜が満開である。

オカメ桜

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