naotoiwa's essays and photos

2017年01月



 若い頃はカッコいいと思っていたが、近頃苦手になったもの。例えば、十二音技法の現代音楽、メタフィジカルなタイトルの哲学書、アヴァンギャルドなアート映画。

 でも、最近見た「ネオン・デーモン」は良かった。カニバリズムまで出て来て、これでよく上映許可が下りたものだと思うほど過激な映画だったが、圧倒的に映像が美しかった。



 近頃苦手になったもの。例えば、ミニマル過ぎるデザインの家具、これ見よがしのデザインホテル。コンクリイト打ちっ放しは特に勘弁だ。

 たぶん同じような理由で、最近はこういう店も苦手なのである。

 たまたま入った東横線沿線駅近くのお蕎麦屋さん。人気店のようで、平日の13時半を過ぎても店内は満席に近かった。ランチメニューは天丼とせいろのセット。とてもおいしかったのである。蕎麦はキリッとして香り高く、天丼の海老も野菜も上品な油で揚げられていて、タレも甘過ぎず辛過ぎず。これで1000円はお値打ちかも。器もモダン、店内のインテリアもモダン。

 で、このお店、BGMにジャズがかかっていたのである。ああ、昔はこういうの、オシャレだなあと思ってた時もあった。ジャズを聴きながら蕎麦を啜る。でも、最近はこういうの、ダメなのである。蕎麦は蕎麦屋らしい設えのところでズルッと啜りたいのである。天丼は頬被りしたおばあちゃんにテーブルまで運んできてもらいたいのである。こじゃれた演出はなにやら落ち着かないのである。

 こういうの、伝統に回帰したと言えば聞こえはいいけど、たぶん年を取ったというだけのことかもしれない。ちなみにこのお店、流れていたジャズはけっこう古いんだけどね。でも、ジョニー・ハートマンの甘いヴォイスで Dedicated to You を聴きながら頬張る海老天というのは、やはりどうも。。


elephant

Triotar 75mm f3.5 of Rolleicode Ⅱ + TX400


 elephant.





 テニスラケットを新調してしまったのである。久しぶりのデカラケである。普段はバボラの300グラムのピュアドライブを使っていて、これ、ストロークは申し分ないのだけれど、最近ダブルスでのボレーのミスが多くて、…先日、馴染みの店の店員の方に「これ、魔法のラケットですよ…」と耳打ちされてその気になってしまい、今買える一番デカい(125平方インチ!)ウィルソンのラケットを衝動買いしてしまったのである。
 通常のデカラケは軽過ぎて打感が今ひとつなものが多いが、これはけっこう重さもあって試打した感じがとても良かったのである。が、それよりもなによりも、まずもってこのルックスが気に入ってしまったのである。なんだ、このガットの張り方は!まるで扇みたいじゃないか、と。

racket

 ちょうど扇にまつわる小説を読んでいたところで(原田マハさんの「サロメ」を読んでから、ここのところずっとオスカー・ワイルド熱が再熱していて、先週も「ヴィンダミア卿夫人の扇」を十数年ぶりに再読したばかりだったのである)、それ以来、頭の中にアールヌーヴォー風の優雅な扇の形が浮遊していて、で、このラケットである。

扇

 ということで、この世紀末風の扇みたいなデカラケを本日テニスコートで試してみたのであるが、サーブは200キロを超えるわ(ウソです)、ボレーは万能壁みたいで確かに「魔法のラケット」だったのであるが、あまりにフレームが高反発過ぎるのか振動がピリピリ肘に来て、一時間足らずでテニスエルボーが再発してしまった。ううむ、ナチュラルを張ったんだけど、この扇みたいなガットの張り方のせいで振動止めの効果があまりないようなのである。せっかく買ったのに。…とほほ。これもワイルドの「ヴィンダミア卿夫人の扇」のせい?

rosary

Triotar 75mm f3.5 of Rolleicode Ⅱ + TX400


 rosary.


plum

CY Planar 50mm f1.4 + α7s


 梅の香せり。


finger

Elmar 5cm f3.5 L + M8


 finger.


lumiere

Elmar 5cm f3.5 L + M8


 lumière.



 近所に素敵な花屋さんがある。店の前に小さな黒板が置いてあって、白いチョークでそこに季節の歳時記の言葉が書かれている。その言葉がいつもとても柔らかい。前を通る度に心が和む。例えばこんな感じだ。「明日は冬至です。一年で一番日が短い日です。でも、それってつまり、これからはどんどん日が長くなるってことですよね?」

 で、今週。店の前を通ったら、「もうすぐ大寒ですね。でも、木々も確実に芽吹いてきました。もうそろそろかな。でもまだまだかな?」とあった。つられてブーケをひと束買った。

spring

Lumix G Macro 30mm f2.8 + GM1


 春は待ち遠しい。でも、このままずっと冬が続くのも悪くはない。春生まれの、でも冬が大好きな自分にとって今はとても複雑な気分である。まさに、もうそろそろ。でもまだまだ。…

 ちなみに、T・S・エリオットの「荒地」の出だしは有名なこんな文章から始まる。

 四月は最も残酷な月、死んだ土から
 ライラックを目覚めさせ、記憶と
 欲望をないまぜにし、春の雨で
 生気のない根をふるい立たせる。
 冬はぼくたちを暖かくまもり、大地を
 忘却の雪で覆い、乾いた球根で、小さな命を養ってくれた。


「荒地」T・S・エリオット 岩崎宗治訳


bouquet

CZ Jena Sonnar 5cm f1.5 T (wartime) + α7s


 bouquet.




 十数年前、仕事で南仏のカンヌに行った折、海岸沿いをマントンにまで足を伸ばした。ここにはジャン・コクトー美術館がある。近くのカップマルタンには例のコルビジュエの丸太小屋がある。まあ、このあたりまではみんな知っている。コートダジュールを訪れた観光客が足を伸ばすスポットであろう。でも、私が行きたかったのは墓地。オーブリー・ビアズリーの墓を見に行きたかったのだ。

 マントンと聞けばビアズリーの墓、とすぐに条件反射するヤツなんてめったにいない。でも、世紀末美術に耽溺した20代を送った者にとっては、マントンと言えば、コクトーもコルビジュエも二の次で、まずもってビアズリーの眠る街なのだ。
 ガイドブックになんか決して載っていない。当時はHPの情報だって貧弱だった。(今では、Find a grave なんてサイトがあって、有名人の墓がどこにあるのか一発で検索できる)それは、海沿いの丘の上にある墓地のどこかの一角にあるに違いない、そこまでは察しが付くけれども、敷地内の膨大な数の墓の中から25歳で夭逝した異邦人の地味な墓標を探し出すことは困難を極めた。

 でも、これからは、ビアズリーの墓詣でにわざわざマントンにまでやって来る日本人観光客も珍しくなくなるだろう。だって、原田マハさんがこんな新刊を出しちゃったのだから。

サロメ

 一気に読んでしまった。どこまでが史実でどこまでがフィクションなのか訳がわからなくなってしまうのだけれど、なにしろ大好きなオスカー・ワイルドとオーブリー・ビアズリーを巡る小説である。これはタマリマセン!

 大学時代のゼミの恩師は河村錠一郎先生。先生の書いた「ビアズリーと世紀末」は今までに何度も繰り返し読んだ。ロンドンでイエローブックの初版本を探したこともある。

ビアズリーと世紀末

 ワイルドの「ドリアングレイの肖像」は原書で読んだ初めての洋書だ。ワイルドが逮捕されたカドカンホテルも終焉の地となったホテル・ザルザス(現在のロテル)も何度か泊まった。お金もないのに、かの名門サヴォイホテルにも奮発して泊まったことがある。とにかくワイルドが好きで好きでたまらなかったからだ。彼の芸術至上主義、耽美主義の言葉に憧れ続けた20代だった。

 原田さんの新刊のせいで、当時の熱が再発してしまったようだ。この年で再び芸術至上主義はヤバい。でも、もうダメだ。気付いたらもう、また「ドリアングレイ」を読み返し始めている。。

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