naotoiwa's essays and photos

2016年02月

kirin

GR 18.3mm f2.8 of GRⅡ


 kirin.


甍

Summaron 35mm f2.8 L + M6 + ACROS100


 roof line of temple.


plum

P.Angenieux 35mm f2.5 R1 + α7s


 plum.




 開業届を出すにあたって屋号を付けるかどうかずっと悩んでいだ。今後たったひとりで生業を立てていく決心をしたのだから、その看板は自分の名前以外他に何がある?そう思ってはいたのだけれど、現実問題、屋号がないとなかなかうまく立ちゆかないことも多いらしい。開業の申請等は屋号がなくても全然構わないのだけれど、銀行さんに「やっぱりちょっとカンベンしていただけませんか」と言われ。…ようは事業用個人と単なる個人の見分けが付かなくて困ってしまうのだそうである。なにが困るのかよくわからないのだけれど、担当してくれた窓口の女性をこれ以上困らせるのも忍びないので、この度、けっきょく屋号を付けることにした。
 広告に限定されたクリエイティブディレクターで生涯を終わりたくなくて、いろんなことに首をつっ込んでみた。そして今感じていることは、改めて「モノ」にこだわることこそが面白いのでは、ということだった。モノといってもいろいろある。フィジカルなモノ、ヴァーチャルなモノ。確固たる形をしたモノからニュアンスを伝えるだけの曖昧なモノまで。そして今ではテクノロジーの進化によってその境界線がとても unframed(枠なし)になってきている。そうしたモノにまつわるストーリーテリングを新しいメディアとともに開発していくことこそが自分のライフワークなのではないか、そう思ったのである。モノにこだわり続けると言う意味では、広告というのはその原点だし、だとすればもう一度広告のことも新鮮に捉え直すこともできそうだ。

 で、付けた屋号が「モノ・カタリ。」なんだか陰陽師みたいでちと怖い、という同業者もいる。腸カタルでも起こしそうだ、という口の悪い友人もいる。昔、カタリカタリという唄があったねえ、という親族もいる。今流行のカタリスト?というアーリーアダプターもいる。ま、なにはともあれ、付けてしまった屋号。「モノ・カタリ。」をどうぞご贔屓に。

monokatary

FE Sonnar 55mm f1.8 + α7s



 空気がジン、と冷えている。
 風はない。夕焼け。
 淡いオレンジ色と水色。
 そこに、ピンクが混ざった夕焼け。
 そこに、時折、鳥影。

sunset

 小学校。国旗掲揚。大きな時計。
 時刻は5時40分。
 整備された校庭のトラック。
 そこを、いつの日か駆けていった少年。

school

 無音。
 サイレントフィルム。
 冬の終はり。


GR 18.3mm f2.8 of GRⅡ


 
 

neu

Lumix 25mm f1.7 ASPH. + GX7


 my dearest.




 京都の何必館でマルティーヌ・フランクの写真展を見る。

マルティーヌ・フランク展

 マルティーヌ・フランク。マグナムの女流写真家。アンリ・カルチエ・ブレッソンの奥さんだった人、と言った方が話はすぐに通じるだろうか。彼女の撮ったブレッソンのポートレート写真も数多く残っている。リラックスした巨匠の表情を眺めているだけでも楽しいが、私は彼女の演出写真が結構好きである。グラフィカルで被写体の並べ方にユーモアがあって、演出過剰のギリギリの手前のところで留めている。例えばこんな風に。

franck-1

 彼女が京都の賀茂川べりに並んで座っている人たちを撮っている写真があった。

kyoto

 私も帰りに構図を真似して撮って見る。四条大橋から眺める風景は1970年代も2016年の今もそんなに変わらないようだ。

kamo-river

GR 18.3mm f2.8 of GRⅡ

giraffe

Summaron 35mm f2.8 L + M6 + ACROS100


 giraffe.




 映画「キャロル」を見た。パトリシア・ハイスミス原作の恋愛映画だからレズビアンものであることは分かっていたが、つまらぬ偏見はあっさりと消え去った。女と男だろうと女同士だろうと、恋する時のあの独特の感情の震えと高まりに変わるところはなにもない。恋する者同士が見る風景の美しさに変わるところはなにもない。



 ケイト・ブランシェット、圧巻の美しさだ。優美でデカダンス。彼女にあの眼力とともにあの低くハスキーな声で「dearest」(最愛の人)と言われたら、男だろうが女だろうが抵抗できる人はいないだろう。ルーニー・マーラ、可憐すぎる。「ドラゴン・タトゥーの女」に出演していた時とはうって変わったメイク、ヘアスタイル。まさにオードリー・ヘップバーンの再来。アカデミー賞ダブル受賞が噂されるふたりだけのことはある。

 舞台は1952年のニューヨーク。それぞれの都市には各々一番美しかった時代がある。ニューヨークはやはり50年代が最も輝いていたのではないだろうか。それをトッド・ヘインズ監督がフィルム撮影っぽい粒子感、テレシネっぽい色彩で再現している。今時の最新鋭デジタル撮影だけでは描けない何か「澱」のような空気感を感じた。

 テレーズ(ルーニー・マーラ)は写真家志望。初めてキャロル(ケイト・ブランシェット)を撮影するシーンが印象的だった。(あのカメラ、機種はなんだろう?アーガスかな?)そして、クリスマスにキャロルがプレゼントしてくれたのが当時最新鋭のキヤノン。ライカではなくてキヤノン。1952年の設定だから、あれはおそらく4Sbだろう。付いていたレンズは50mmの1.5か1.8。カメラ好きにもタマラナイ映画である。



 たぶん、私がこの世の中で一番苦手なことと言えば、数字を操ることである。「数学」は好きである。無限に続く円周率の数字の羅列を見ていたりすると、美しいと思う。けれども人為的な、誰かが便宜上勝手に作った数式を計算したりするのには全く興味が湧かない。会計士や税理士には天地がひっくり返ってもなれないだろう。
 が、フリーランスともなるとそうも言ってはいられない。税法上のことも熟知していなくてはならないし(源泉取得税は何%?100万を越えると税率が変わる?)毎日エクセル上で出納帳も付けなくてはならない。(これ、一ヶ月溜めるとあとで収拾付かなくなる)で、確定申告である。何から何を差し引いて、税率は何%で控除額はいくらで、復興税はどこに加算して、どことどこは千円以下切り捨てで、願いましては。…ううむ、やっぱり好きにはなれない。
 がっ、こうした作業もなんとか苦にはならなくなってきた。勘定項目なんてエクセルでプルダウンメニューとか作っちゃったりするし、電卓叩いて検算して合っていたりするとけっこう快感だったりもする。まあ、慣れというものは怖ろしいもので、ひょっとして、自分にもこうした潜在能力があったのかもしれぬと調子に乗っている始末である。


賽銭

Summilux 35mm f1.4 2nd + MP + RDPⅢ

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