西川美和さんの文章が好きである。「ゆれる」も、先月から映画のロードショーが始まっている「永い言い訳」も。以下は、「永い言い訳」のラスト間近の文章である。
心のどこかがそうやって冷えている日に限って、酒場の人々は楽しく、女は優しく、酒はすいすい。いままで鼻もひっかけてくれなかった店一番の美人がこんな日に限って、店が終わったらツムラセンセイお薦めのラーメン屋に行ってみたいなぞと言う。ラーメンなんぞ食うものか。腕を組み、幸夫の家に直行だ。二の腕に、あたたかくて、やわらかい女の乳が当たっている。ジングルベール。ジングルベール。えっへへへ。心置きなき我が人生、身軽なり。ばんざーい。ばんざーい。ばんざーい。
死ぬって、迷惑かかるんだ。物理的にもそうだけど、人の気持ちに、迷惑かかる。
あのひとが居るから、くじけるわけにはいかんのだ、と思える「あのひと」が、誰にとっても必要だ。生きて行くために、想うことの出来る存在が。つくづく思うよ。他者の無いところに人生なんて存在しないんだって。人生は、他者だ。
まるで、檀一雄が現代に生きてたら書いてくれそうな無頼派な文章だ。これを1970年代生まれの女性の脚本家、映画監督が書いてくれる。もうこれはアッパレとしか言いようがない。当分、彼女の書いたものを読み続けることになりそうだ。次は「その日東京駅五時二十五分発」あたり。