naotoiwa's essays and photos



 今日は亡父の命日である。亡くなってもう二十年が経つ。

 父親は無類の車好き、ドライブ好きで、幼い頃からいろんなところに連れて行ってもらった。東海・北陸地方だと郡上八幡、飛騨高山、三方五湖、あるいは伊勢、関西方面はもちろんのこと、まだ東名高速道路が全線開通していない時期に、熱海方面まで連れて行ってもらった記憶がある。

 で、最後に車でいっしょに行ったのはどこだったろうかと思い返してみると、…たぶん、あの時である。

 あれは、私たち夫婦がまだ結婚して間もない頃、京都方面に旅行に出かけたことがあって、その際、父親は車を飛ばして合流してくれたのである。場所は、奈良の高畑にある新薬師寺。例の十二神将像で有名な天平時代のお寺である。

新薬師寺

Elmarit 28mm f2.8 1st + M9-P


 愛車のメルセデスを新薬師寺の前に停めて待っていてくれた時の光景を思い出す。あの時、すでに父親はかなり肝臓の状態が悪かったようで、C型肝炎が悪化しないようにとインターフェロンの注射を定期的に行っていたが、「情けない話だが、車で奈良に来る程度のことで、けっこう疲れるようになってしまったよ…」と珍しく弱音を吐いていたのを思い出す。

 住職の方が堂内の薬師如来像について説明をしてくださっていたのを覚えている。「薬師如来さんは、西方浄土の阿弥陀さんと対を為している仏さんで、こちらは東方の瑠璃光浄土を司っておられます。体中から青い美しい光を放ち世界を照らしてくださっています。薬師如来さんは全部で十二の大願を掲げていらっしゃいまして、その七番目が人々の病気を平癒してくださるというものです」

 その薬師如来さんにずっと手を合わせていた父親。自分の病気平癒を願っていたのであろうか。そして、もう一度元気になって、また昔のように日本全国どこへでも車で出かけられるようになりたいと思っていたのであろうか。…しかしながら、あれから三年足らずして、父親は肝硬変で亡くなってしまった。

 スポーツマンで何事にもアクティブだった父親は、たぶん西方浄土よりも東方浄土が似合っている。…朝焼けの空に向かって父親と話をしてみることにした。瑠璃光はラピスラズリの色である。

ATOM

GR 18.3mm f2.8 of GRⅡ


 atom.


fire

Summilux 35mm f1.4 2nd + M9-P


 浄化。




 年が明けた。ホッとした。なぜならば、昨年2016年はどんな占いを見てみてもヒドイ運勢だったからである。例えば、六星占星術では大殺界&中殺界の年であった。(私は霊合星人とやらで、メインとサブの組み合わせが片方が良くても片方が悪い等、毎年なにやら複雑なパターンが多いのであるが、昨年はそのどちらもが最悪の「乱気」と「減退」。ダブル殺界だったのである)まあ、運命論的なことをさほど信じているわけではないけれど、ここまでハッキリ言われているとさすがに気が滅入る。そんな一年だったのだ。で、それが今年から好転するのである。「再会」と「種子」。昨年と打って変わって、なんだかとっても春めいている。ルンルン。占いのキーワードもコピーは大切である。

 毎年、元旦から初詣に行ったりはしないのだけれど(いつもは三ケ日の人がはけてから)今年は心を新たにして初日から神社に向かった。本来ならば太宰府天満宮に行くべきところなのだが(去年、ここでいろいろとお願い事をしたので)さすがに九州は遠い。同じ菅原道真公ならば連携して下さるだろうということで別の天満宮へ。

 お神籤も引いた。「吉」と出たが、「夜深うしてわずかに微光の灯るなり」「精神の安定を保ちたゆまぬ努力を続けなさい」と書いてある。これだけ読むと「凶」なのではと思ってしまうが、お神籤とは本来こういうものである。常に未来に対する努力目標が書かれているものなのである。大殺界を経験した者はもはやこの程度の言い回しで悲観することはない。念のため、この神社のお神籤の配分を調べてみると、25本中、大吉3本・吉5本・半吉4本・末吉6本・末小吉3本・凶4本となっている。
 お神籤は持ち帰ることにした。これからの自分への戒めの言葉だ。財布の中にでも入れておこう。この枝には結ぶなと書いてあるし。もう一ヶ月もしたら梅の花もほころび始めるのだ。

L1005632

Summilux 35mm f1.4 2nd + M9-P

 それにしても。霊合星人とはなんとも因果な星の下に生まれた者のようである。なにせ、誕生年の運勢がメインが「停止」でサブが「達成」なのだから。その存在自体、メタフィジカルなコントラストに満ちている。

 ということで、2017年となりました。みなさま、今年もどうぞよろしくお願いします。

注連縄

Summilux 35mm f1.4 2nd + M9-P


 wishing u a happy new year.






 去年の春に長年勤めていた会社を退社する際、20年近くお世話になった上司に壮行会をしていただいた。まだ、これから何にフォーカスしていくべきか暗中模索していた時期で、その心情をそのまま「これからは自分のアイデンティティを無理やりひとつに限定せず、さまざまな可能性に対してフラットにチャレンジしてみたい」などと甘っちょろいことを言っていた自分に対して、「おおいわさんは、最近の若者みたいな価値観を持っていますねー。いいと思いますよ。応援します!」と言ってくださった。その激励の言葉を支えにここ二年近くがんばってこれたような気がする。で、その時にいただいたプレゼントがこれ。私のバースイヤーのバローロのワインである。こ、こんな貴重なものを。。。恐れ多くてそれからずっと手を付けられないでいた。いつかこれからの自分の生き方の目処がハッキリ見えてくるまで大事にとっておこうとも思ったが、でもやっぱり、この尊敬する上司といっしょに飲むのが一番シアワセかもと思い直し、彼が今年いっぱいで定年を迎えられるのを期に、昨晩、昔の仲間で集まってみんなでこの1961年ものの貴重なバローロを開栓することに相成った。

 さすがに、コルクが。…ワインオープナーでは太刀打ちできないようだ。ポロポロと剥がれていく。なにせ55年も経過しているのだから致し方ないだろう。こういうときは彫刻刀かも!ということで、彫刻刀でコルクの縁を少しずつ慎重に削り取っていく。そして、最後はコルクの破片ごとボトルの底に落とし込み、そのまま全部カラフに注いだ。

barolo

GR 18.3mm f2.8 of GRⅡ

 で、いよいよである。55年もののバローロは如何に?

 色は赤というよりも焦げ茶に近い。香りは?最悪「お酢状態」も覚悟していたが大丈夫そうだ。ゆっくりと一口含んでみる。…こ、これは、お、おいしいではないか!バローロの55年ものなんて聞けば、どれだけ重くて濃厚な味わいになっていることだろうと予想していたが完全に裏切られた。熟成感はもちろんあるが、なにやら軽みまで感じられる味である。集まったメンバー全員に好評だった。ワイン通の友人が「1961年のバローロは稀に見る当たり年だったし」と教えてくれる。

 ただ、空気に触れると酸化が著しく早く進むようだ。みんなで急いでボトル一本分を空けた。

 我々人間も、こうありたいよねえ、という話になる。熟成されればされるほどかえって「軽み」が増していく。でも、開栓後は賞味期限が短めのようでしてw、そのまま放置しておくとすぐに「お酢状態」になりかねないようで。。

 60歳を迎えられたHさん、そして15年前から確実に15年の歳を重ねた昔の仲間達。彼ら彼女らの熟成に幸あれ、と願う年の瀬であった。彼ら彼女らといっしょにヤンチャをやり尽くしたあの年月のことは、これからも決して忘れることはないだろう。



 人生で最も重要なことは、人生の前半がどこで終わるかを見きわめることです。(中略)人生は数字ではありません。人生は割り切れるものではないんです。私の云う前半後半は、時間と無縁のもので、代わりに潮時というものがあるんです。人生には大きな潮時が二度訪れる。一度目が前半の終わり、そして、二度目が後半の終わりです。

吉田篤弘著 「電球交換士の憂鬱」より


電球交換士の憂鬱




 マンションに住むとしたら何階がいい?

 最上階、と答える人は多いだろう。人間は眺めのいい部屋に憧れる。あるいは、敢えて一階と答える人も多いかもしれない。エレベーターに乗らなくてもいいし、通りに面している方が街の活気がダイレクトに伝わってくるし。

 で、私はと言えば、半地下と答える。相変わらずのあまのじゃくでスミマセン。でも、かなりの昔から(たぶん小学生ぐらいの頃から)将来自分がマンションやビルに住むとしたらゼッタイに半地下がいいと思い込んでいたフシがある。地下ではない。半地下である。まったくの地階は陽が当たらず陰気だが、半地下は決してそうではない。

 私がずっと思い描いていた半地下の部屋というのは、以下のような部屋である。かなり具体的なイメージがあるのだ。

 そのマンションは低層の三階建てで、とあるミナト町の坂道沿いに建っている。坂の傾斜は緩やかで、人々はゆっくりとその道を登り、ゆっくりと下っていく。マンションはそこから3メートルほどセットバックしたところに建っていて、しかも一階部分が道路から1メートルほど下がっている。つまり、入口となる一階部分が半地下に位置しているのだ。で、そこからはいつも窓越しに、坂道を登り、あるいは下っていく人々の姿を仰角30度ぐらいで眺めやることができる。彼ら彼女らの顔はよくは見えない。でも彼ら彼女らの伸びやかな肢体を、少し距離を置きながら憧れを持って仰ぎ見ることができる。そして陽の光は、夏は1/4ぐらいまで、冬には部屋の半分ぐらいのところまで差し込んできてくれるだろう。…そのくらいがいいのだ。そのくらいがちょうどいい。内側から外の世界を眺めやる感じも、陽の差し込む感じも。

 

red shoes on

Summaron 28mm f5.6 +MM


 back shot of a girl in the port town.


merry christmas

Lumix 30mm f2.8 Macro + GM1


 Merry Christmas!


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