naotoiwa's essays and photos



 これ、長崎は茂木に本店のある一〇香本家(いちまるこうほんけ)の銘菓「一〇香」(いっこっこう)。一見ふつうの焼き饅頭。でも、ガブリと囓ってみると、なんと中身がない。空洞なのである。きっと中には甘い餡が入っているに違いない、それはつぶ餡かこし餡か、という俗世の煩悩を見事に裏切ってくれる菓子なのである。なんとも哲学的である。

一〇

 ネーミングもまた哲学的である。一口で香り高くおいしいから「いっこっこう」。それが店の名前では一〇となる。イチとゼロ。二進法。デジタルである。これはもう禅的ですら、ある。おまけにおいしい。皮に飴が塗ってある。ゴマもまぶしてあって香ばしい。ゆえに、これ、ワタクシの好物なのである。

 長崎の茂木。一度だけ行ったことがある。有名なのは茂木港の先にある月見の名所、潮見崎観音。石段を百段ばかり登ると島原半島がかすかに見える。あるいは茂木の名前の由来になった神功皇后の裳着神社(もぎじんじゃ)。

裳着神社

 ユニークな店もいくつかあった。この一〇香本家しかり、フランスパンのブーランジェリー「オロン」しかり。

aulong

 茂木港には、かつて長崎の女傑が経営していた茂木ビーチホテルなるものも建っていた。檀一雄はここで芝エビを食べまくっていたらしい。

 部落はずれの森の中に、一軒のホテルが立っている。Bホテル、と聞えはよいが、おそらく、大正のはじめ頃につくられたまま、時代からとりおとされてしまったような、二階建ての、白ペンキ塗りの、木造ホテルであって、大時代な琺瑯鉄器のバスがあり、ギイギイときしむ骨太いダブルベッドがあり、古風な大理石のマントル・ピースをもった壁暖炉があり、で、何となく芥川龍之介だの、佐藤春夫だのが、青年の日に、長崎にやってきては、ここに泊っていたような錯覚さえ感じられた。
 
檀一雄 火宅の人(下)

 茂木。長崎の奥座敷。長崎はまだまだ奥深い。 

消失

Lumix 42.5mm f1.7 ASPH. + GM1


 消失。




 今年は暖冬気味の日が多かったが、ここに来てようやく寒さも厳しくなってきた。一年前を思い出す。去年の今頃、サラリーマンをこのまま続けるか会社を辞めるか、悩みに悩み、眠れぬ寒い夜を過ごしていた。
 人生は出たとこ勝負、という考え方も嫌いではないが、私はどちらかと言えば、自分の人生は冷静に俯瞰して設計してみたくなるタイプの人間である。さすがに自分がいつ死ぬかだけは予測できないけれど(でも、80歳以降生きることは全く想定されていない)残りの人生を計算してみて、もうこのタイミングしかないと決断したわけである。
 一年前、なにか示唆を与えてくれる言葉はないものかとたくさんの本を読んだ。その中で一番納得できたのは「暮しの手帖」編集長だった松浦さんのエッセイに出てくる以下の言葉である。

 資産というのは不動産や株、貯蓄だけではない。金利が無いに等しい日本で、貯蓄を銀行に預けっぱなしは愚の骨頂だが、君が今まで働いてきた経験や実績も目に見えない資産のひとつと考えられる。それをこれからの人生でどう運用していくのかをよく考えるべきだ、と。四十歳からは、それまで費やした「時間」「経験」「知恵」という、いわば資産もしくは貯蓄を運用し、その利息で暮らしていくこと。

暮しの手帖日記 松浦弥太郎

 ここでは四十歳から、と書かれている。私は既に五十も半ば近くになっていたので、もうずいぶんと遅れをとってしまっていたのであるが、今までに会社やさまざまな人々に育てていただいた自分という資産を今後どう維持し増やし次世代に伝えていくのか。その運用をそろそろきちんと自分自身のデザイン力で始めていかねばならないと思ったのがちょうど一年前の今頃である。

 さて、一年経ったところで、私という資産の運用利回りはどのくらいになったのだろう?

カステラ




 ううむ。フィルムの値段が高い。いくらなんでも高過ぎる。特にモノクロフィルム。トライXが一本900円を越える。現像代も値上がりした。量販店でも500円を超える。TmaxはトライXより安いが現像代がバカ高い。800円から1000円。すなわち、フィルム一本買って撮影して現像するのに1500円から2000円近くかかる。比較的安価なのはフジのネオパンACROS100ぐらい。ISO100のフィルムはISO400に比べるとまだ少しだけリーゾナブル。でも、なんでここに価格差を付けないといけないのか訳がわからぬ。
 というわけで新しいフィルムが気軽に買えないのである。仕方なくゴソゴソと防湿庫の中を探る。期限切れ間近のフィルムが2−3本見つかった。お、ISO25の低感度フィルムだ。ローライのORTHO25。これ、いいのである。極めてシャープ。でも階調も豊か。風景とか静物とかを細密画っぽく撮るのに最高なのである。でもISO25。踏ん張らないとすぐに手ぶれする。でも、昔はISO10とかで撮っていたのである。木村伊兵衛がパリで撮影したフィルムがそうである。ならば私もがんばってシャッタースピード1/30ぐらい何のその。気合いで撮影した。撮影後、モノクロフィルム専用のラボに現像をお願いする。数日後受け取りに行ったら、な、なんとこのフィルムも現像代がめちゃくちゃ高い。Tmax並である。現像液が特別なんですよね、と言われる。ううむ。…気を取り直してスキャンする。おお、絵は素晴らしい。ORTHO25、やはり、いい。

エンタシス

Summicron 35mm f2 2nd + M4 + Rollei Ortho 25

 それにしても。フィルムの値段が高い。現像代が高い。いくらなんでも高過ぎる。値上げ率は煙草以上である。かといって、冬場に自家現像はツライ。水洗いの際、手がかじかんで堪らぬ。
 どうしようか。フィルムそろそろやめるか。いや、私はやめない。私は負けない。写真はやっぱり光画、なのである。印画紙にじわじわと浮き上がってくるあの瞬間こそ写真の醍醐味なのである。私は負けない。こうなったら、チェコのプラハにでも行って安いフィルムを買い占めてきてやる。35ミリも中判の120も220も全部。こうなったら、ヤケクソでもっとマイナーなベスト版(127)も使ってやる。そのためのフィルムカメラも買ってやる。ベビーローライを衝動買いしてやる。…ううむ。

pray

Summicron 35mm f2 1st + MM


 pray.


mannequin

Summicron 35mm f2 1st + MM


 mannequin


sora to midori

M-Rokkor 28mm f2.8 + M8 + IRfilter


 sora & midori.




 六本木のフジフィルムスクエアでラルティーグの写真展を見る。

ラルティーグ

 ジャック・アンリ・ラルティーグ。本業は画家。写真家として知られるようになったのはニューヨークのMOMAで個展が開かれ、LIFEで特集されてからのこと。御年70歳。でも、ラルティーグは8歳の時からずっと家族や近しい人たちの日常を撮り続けていた。会場で紹介されていた彼の言葉がとても印象的だった。

 人生とは、踊り、飛びはね、飛翔し、笑い、…過ぎ去って行く素晴らしいものだ。

 なんてチャーミングな人生観であろうか。早くこの境地に達したいものだとつくづく思う。世界で最も偉大なアマチュア写真家、ラルティーグ。日本ではもちろん、植田正治がそれに匹敵する。



 春のような陽気である。電車の中はそんなに混んではいない。右隣に座っていた女がウツラウツラし始めた。時折、私の右肩に寄りかかる。化粧品の匂いがぷんとする。少しオイリーな色っぽい匂いだ。髪の匂いもぷんとする。
 朝、天気予報で三月中旬の陽気だと言っていた。小春日和、らしい。…暖かくて眠くなる。読んでいた文庫本は現代版カフカみたいな話だが、その不条理もなんだかぼんやりどうでもよくなってくる。そして、右隣からは、化粧品と髪の匂いに紛れてオンナの匂いがぷんとする。

 いつの間にか横浜を過ぎ、電車は地下に潜り込んでいた。右隣の女はいなくなっていた。どこかの駅でちゃんと目を覚ましたようだ。眠りこけてしまったのはどうやら自分の方のようである。
 電車は終点の元町・中華街の駅に着いた。ずいぶん地下深くにホームがある。長いエスカレーターを何度も折り返して登っていく。改札階を過ぎる。まだまだ登っていく。すると、不意にアメリカ山公園に出た。花壇に薔薇が咲いている。薔薇の花はたいしたものだ。真冬でも枯れることがない。
 ここから外人墓地を巡り、元町公園、エリスマン邸、ベーリックホールを経て代官坂上へ。体が散歩コースを覚えている。汐汲坂から南に下り、テニスコート発祥の地がある山手公園でひと休みする。それから再び通りに戻ってカトリック山手教会へ。

maria

Summicron 35mm f2 1st + MM

 中庭に立つマリア像をじっと見上げる。頭部を少し右に傾け、合掌する手を左前に寄せて…ポーズが長崎の大浦天主堂の日本の聖母と酷似している。説明の書かれた碑を読んでみると、それもそのはず、どちらも1865年前後にパリから日本に寄贈されたものらしい。ひょっとして、二体とも同じフランスの工房で作られたものやもしれぬ、などと夢想に耽っていたら、敷地内を掃除していた信者の女性に声をかけられた。「よろしかったらごいっしょに堂内に入りませんか」
 丁寧に辞退する。今堂内に入って神父さまに会ったら、そのまま洗礼を受けてしまいそうな気がしたからだ。(まあ、それならそれで構やしないのだけれど)…元来た道を戻る。そこから元町までは歩いて五分。
 気が付いたら、元町商店街の端っこにあるウチキパンでいつものように(?)食パンを一斤買っていた。そして、いつものように(?)その脇の坂を登り始めた。高台に立つ白いマンションまで。それは切り立った崖の上にある。かつて、このあたりの地番はブラフと呼ばれていた。切り立った崖、Bluff。

bluff

Elmarit 28mm f2.8 2nd + M9-P

 最近、なにかの拍子に過去と現在がするりと混ざり合ってしまうことがある。でも、そんなの、別にたいしたことでもないし、おかしなことでもないと思う。たかが20年や30年程度の昔ぐらい、それは一週間前や昨日、あるいは一時間前となんら変わりはしない。時間なんてそんなものだ。

 その坂を登っていけば、あの白いマンションにたどり着く。ベッドと書棚と書き物をするテーブル以外になにもない、でも、日当たりだけは良くて、暖かい季節になるといつもウツラウツラしてしまうあの部屋にたどり着く。これから日曜日の朝である。おいしいトーストを焼いて食べるのだ。…



 最近、寺社や教会に行くと、必ず何十秒かじっと手を合わせてお祈りをするようになった。そんなの当たり前のことなんだろうけど、恥ずかしながら今まではそうではなかった。教会に行けばキリストやマリアの、お寺に行けば仏像の鑑賞ばかりに興味があって、信心などは正直言ってほとんどなかったように思う。それがここ数年で変わった。母親を亡くして以降のことだと思う。というよりも、両親とも亡くして、もはやこの世に頼りにすべき人がいなくなってからのことだと思う。たぶん、信心というのはそういうことなのだ。現世に誰も頼れる人がいなくなり、すべてを自分ひとりで決断し解決しなくてはならなくなった時、人はなにかに縋りたくなったりするものではないだろうか。

 昨日は亡父の19回目の命日。近頃、C型肝炎の特効薬も出来たと聞く。それが間に合っていれば父親は71歳で死なずに済んだのかもしれぬ。生きていれば今年の五月に91歳の誕生日だって迎えられたかもしれぬ。

 小さい頃、車でいろんなところに連れて行ってくれた父親だった。昔のアルバムをめくると、谷汲山、多賀神社、横蔵寺、少し遠出して郡上八幡、飛騨高山、あるいは福井の三方五湖、あるいは奈良のドリームランドなどの地名がメモされている。母親の筆跡だ。父親が使っていた写真機はたぶんペンタックスのSP。

father

 この写真は、父親が42歳、私が5歳の時のものだ。父親はなかなかのハンサムだ。少なくとも息子の私が42歳だった頃より断然格好いい。スキーにゴルフ、スポーツ万能だったし。昭和40年代の地方都市で外車を乗り回すなかなかの洒落者だった。長年身ひとつで我々家族を支え続けてくれた父親。そして子供たちの将来の可能性をいつも第一に考えてくれた父親。…合掌。


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