naotoiwa's essays and photos

fountain

Zuiko 38mm f3.5 Macro + NEX-7


 fountain.




 久しぶりに浦和の別所沼にあるヒヤシンスハウスに立ち寄る。無性にあの色が見たくなったのだ。淡緑色。あるいは緑青色とでも言えばいいのか。道造グリーン。ヒヤシンスが活けられた窓枠にも、木製のドアにも、この色が塗られている。そして、彼がこの小さな部屋にいる時にだけ掲げられていた旗の色も。

灰緑色

 詩人で建築家の立原道造は、この灰色の混じったアンニュイな緑色になにを感じていたのだろうか。新芽の色にしては褪せている。秋の日に取り残された緑の色か?

clouds

Summilux 35mm f1.4 2nd + M9-P


 clouds on the water.




 これから「表現する」ことを目指していく人に対して、私は折に触れ、「言語隠蔽」(げんごいんぺい)について話すことにしている。言葉で表現することの素晴らしさについて。と同時に、それと表裏一体の危うさについて。自分のクオリア(感覚質)が表現したいと欲求しているもの、そのすべてをホリスティックに言語化することは、残念ながら我々にはできない。言語化された瞬間、抜け落ち忘れ去られていくもの。それらの中にこそ本質的な何かがあったと直観することは、アイデアを考えることを生業にする人ならば誰でもが経験済みのことであろう。

 そのことを、ヴィトゲンシュタインは「語り得ないことについては人は沈黙せねばならない」と言ったのだ。

 言葉よりは、写真や絵画や音楽や映像の方が、抜け落ちてしまいそうな本質的なものを掬い上げることに長けている気がする。それらのメディアの方が、生命体の揺らぎのようなものを複雑系のまま担保しやすいからだ。でも、例えば、原作を映像化した映画の場合には、作者である監督は、原作者よりももっと意図的に言語&映像隠蔽を施すことが出来るようになるのではないだろうか。映像は言語よりも格段にリッチな情報媒体である。ゆえに言語の余白部分にさえも明確な輪郭付けを施すことが可能になってくる。

 表現するということは、表現されるということは、作り手と受け手の化かし合いである。そのことを肝に銘じて「表現する」こと。どこまでを意図的にするのか、どこまでを無意識のフィールドに残すのか。その匙加減こそが作品のクオリティを決めるポイントのような気がする。

 そんなことを、私は折に触れ、これから「表現する」ことを目指していく人に対して話すことにしている。あるいは、自分も表現者の端くれとして、いつもこのことを考えるようにしている。


廃屋

P.Angenieux 25mm f0.95 + E-P5

鮎

GR 18.3mm f2.8 of GRⅡ


 鮎。




 今日は亡母の命日である。四年が経った。彼女はきっと、この四年間の私の人生の迷走をハラハラしながら見ていたに違いない。(本人は迷走とはさらさら思ってなかったけれど)草葉の陰から「きれいごとばかり言ってないで、実を取りなさい」と叱咤していたかもしれない。「どんな状況になっても、自分の能力だけで生きていけるための土壌作りをしたのは、もとはと言えばこの私だからね」と恩着せがましく言っていたかもしれない。

 今日は梅雨の晴れ間。近くの山までトレッキングに行ってきた。そうして、展望台から街並みを遠望しながら、一分間だけあなたのことを思った。性格があなたに似てしまったことについてちょっとだけ恨み言を言った。小さい時からいろんなチャンスを与え続けてくれたことにたくさんのありがとうを言った。そして、もう決して戻ることのない決定的な不在について、一分間だけ思いを馳せた。

展望台

GR 18.3mm f2.8 of GRⅡ

path

P.Angenieux 25mm f0.95 + E-P5


 path.


roses

Zuiko 38mm f3.5 Macro + NEX-7


 roses.


uptitled tip

Elmar 5cm f3.5 + Ⅱf + Lomo100


 with uptitled tip of nose.




 国分寺にある大学に通い始めて、丸二ヶ月が過ぎた。今までの個人の仕事を続けつつ、大学での授業と(その準備と)研究と行政業務というのは、予想はしていたものの、かなりハード。(ま、このくらいで音を上げるつもりは毛頭ないけれど)でも、体調は悪くない。むしろ前より良くなっている気がする。たぶん、場所のせい。大学がとても「気」のいい場所にあるからだと思う。

 大学の敷地の南側を、例の国分寺崖線が貫いている。ハケ下から武蔵野台地に至る坂を登っていく途中に研究棟のいくつかが建っている。眼下には湧水池。このあたり一帯は、明治から大正の初期にかけて政財界人の別荘群が数多くあったところ。すぐ近くには犬養毅ゆかりの滄浪泉園がある。波多野承五郎氏の別荘跡。ここにも深い湧水池がある。

ハケ

CANON S120

 一帯がマイナスイオンに満ち満ちている。そして、入りくんだ迷路のようなハケの道が武蔵野の原風景への想像力をかき立ててくれる。この周辺はまさに、大岡昇平「武蔵野夫人」の舞台なのである。

 ドルジェル伯爵夫人のような心の動きは時代おくれであろうか。(ラディゲ)
『武蔵野夫人』より


 

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