naotoiwa's essays and photos



 未現像のフィルムが何本か残っていたので久しぶりに自家現像してみた。そのうちの一本は長崎で撮影したものだった。浮かび上がってきたのは大浦天主堂の写真。いつ撮ったものか記憶は定かではない。

 日本にあるマリア像の中で、ここ大浦天主堂の「日本の聖母」はことのほか美しい。いわゆるルルドの聖母に見られる合掌のポーズを取っているが、このマリア様、頭部を右に傾け、合わせた両手はやや左に繰り出している。左肩を心持ち下げ、左の腰を外に突き出し体を緩やかにS字型にひねっている。

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 フィグーラ・セルペンティナータ。figura serpentinata. …でも、それはマニエリスムの画家や彫刻家たちが企むほどの大仰なものではなく、官能的ではあるけれど、上品なメランコリックさのうちに留まっている。そして、頭上の王冠と足元の三日月、そのどちらもが金色に輝く。清楚なのにゴージャス。優美なのにメランコリック。

 ここ大浦天主堂に、いったい何度、私は足を運んだことだろう。昨年だけでも四回。二十代の頃から数えたら、五十回は下るまい。この優美でメランコリックなマリア様に会うために、私は何度も長崎に足を運び、何度も大浦天主堂の門をくぐる。

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 2015年12月31日午後のことである。珈琲が飲みたくなってキッチンの蛇口をひねったら、糸を引くようにしか水が出ない。あれ、どうしたんだろう?夕方、今度はバスタブにお湯を貼ろうと思ったら、ボコボコッと音を立てたきり、うんともすんとも。…断水である。近くで工事でもやってるのか?そんな通知、ポストに入ってなかったけど。
 水道局に電話してみる。やはり「近隣でそのような工事は行われてません」とのこと。だとすると故障である。よりによって大晦日の日に。紹介された設備工事の工務店さんに電話すると「おそらくは給水ポンプの故障でしょう」
 年末のギリギリの時間に駆けつけて来てくださった。「ああ、やっぱりモーター動いてないですね」「…」「何年ぐらい使ってます?」「えっと、かれこれ15年ぐらい…」「だったら、寿命です。今までよくもった方だと思いますよ」「…」
 カバーを開けて復旧ボタンをリセットし、ブレーカーを入れ直したらウィーーンと動き出した。「とりあえず復旧しましたが、またすぐに止まってしまうかと」「…」「年明け早々に交換した方がいいと思います」「…あの、お、おいくらぐらいかかるんでしょう?」「そうですね、工事費入れて20万円は越えると思います」「に、にじゅうまん」「合わせてタンクも新調される場合は合計40万ぐらいになるかと」「よ、よ、よんじゅうまん」「この際ですから、ポンプで汲み上げるのやめて各階に水道管直結にしたらいかがでしょうか」…その際の値段は勇気がなくて聞けなかった。「…年明けまでに考えてみます」

 という年越しだったのである。で、新年早々、カネである。ううむ。…でも、いろんなものがそろそろ寿命なのである。家も15年を過ぎるとあちこち傷み出してくるし、車だって、去年の秋に車検を通した時には「エアサス、いつ動かなくなるかわかりませんよ」と脅かされた。こちらも12年を過ぎている。そして、人間の体の中も。…同じようなことが起き始めているかもしれぬ。そう思うと、新年早々ちと憂鬱な気分なのである。いずれにしても新年早々カネが要るのである。想定外の20万余はかなりイタいのである。猿に文句を言いたいのである。

monkey

 初夢を見ている余裕は、ない。が、とりあえず、迎春。

 みなさまにとって良い年でありますことを。アーメン。

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all photos taken by Summilux 50mm f1.4 1st + α7s

Hyacinthus

Summilux 50mm f1.4 1st + α7s


 a happy new year. 風信子。


 

 久々に川上弘美さんの短編集を読む。タイトルは「天頂より少し下って」。

川上

 この本の中に、十年ぐらい前「群像」に掲載された「ユモレスク」という短編が入っていた。舞台は吉祥寺。

 マスターは留守にしている。代わりにイイダアユムがカウンターの中にいた。客は他にはいない。人通りが多いのに、みんな「やまもと」を素通りして、公園のほうへと歩いてゆく。

 ハナもイイダアユムも「やまもと」のマスターも吉祥寺に住んでいる。マスターはいつも三浦屋で買い物をしている。そして、井の頭公園に時々現れる猫当番の老女の話。

 このあたりの一節を読んでいると、あの店のことを思い出す。南口から下っていき、「いせや」を過ぎ、まさに井の頭公園の敷地内に踏み入ろうとする境界線にその喫茶店は建っていた。名前はたしか「くれーぷりー」。元祖猫カフェ。猫たちは公園とカフェの間をいつも自由に行き来していた。冬の寒い日、暖を取りにカフェのストーブの近くに何匹もの猫たちが蹲っていたものだ。現在はドナテロウズというアイスクリームカフェになっている。

吉祥寺の猫

 かつての吉祥寺には雰囲気のある喫茶店がたくさんあった。この「くれーぷりー」しかり。「ペンギンカフェ」しかり。南口の地下の「ストーン」は今も健在なり。パルコの脇の「ファンキー」は喫茶店をやめてしまった。プチロードの「モア」と「ジョン・ヘンリーの書斎」は健在だが、「西洋乞食」は場所を変えてしまった。They bring me back memories.

 さてさて、「天頂より少し下って」。読み進めていくうちに、やっぱり川上さんは天才的な小説家であると同時に、天才的なコピーライターでもあるなあとつくづく思った。

 人生って、油断していいんだか、ぜんぜん油断できないんだか、よくわからないね。

 なんて、なかなか書けるセリフ、では、ない。

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