naotoiwa's essays and photos

螺髪

C Planar 80mm f2.8 + 500C +C16 + Acros100


 螺髪。


flower

DG Summilux 15mm f1.7 + GM1


 flower.




 今期の(担当する)授業が終了した。授業の最終日は東京に20センチの積雪。研究室の窓の向こうはいきなりの雪景色。

雪景色

 なにからなにまで初めてづくしの一年間。学部の授業だけで年間5コマとして合計30回×5=150回の授業。講義中心の授業もあればゼミナール形式のものもあるが、一回1時間半の授業内容を150通り考案することの責任の重大さを痛感した一年だった。相手に応じて臨機応変に対応する技量を要求される実業界の仕事とは根本的に異なるのである。まずは自ら150通りのコンテンツを準備しその編集と検証を行わなくてはならない。単なる知識ではダメ。そうしたことを曲がりなりにもなんとかここまでやってこれたのは、信頼に応えたいという思いと、同僚の先生方のアドヴァイス、いつも親身に対応してくださる職員の方々のフォローアップ、そしてなによりも熱心に授業を聞いてくれる学生さんたちの視線に支えられてのことである。お世辞でも「今日の先生の授業、面白かったよ〜」なんて言われたりすると、ちょいとホロリとしてしまう。

 担当する授業は終了したが、定期試験やその他の行政業務が続くので3月まではまだまだ気が抜けない。でも、とりあえず本日でひと段落。自分にご褒美を、などという金銭的な余裕はないのだが、せめて今夜は吉祥寺界隈でおいしい珈琲でも飲んでから帰路につきたいと思う。太宰治の「雪の夜の話」でも思い出しながら。

 白い雪道に白い新聞包を見つける事はひどくむずかしい上に、雪がやまず降り積り、吉祥寺の駅ちかくまで引返して行ったのですが、石ころ一つ見あたりませんでした。溜息をついて傘を持ち直し、暗い夜空を見上げたら、雪が百万の蛍のように乱れ狂って舞っていました。きれいだなあ、と思いました。道の両側の樹々は、雪をかぶって重そうに枝を垂れ時々ためいきをつくように幽かに身動きをして、まるで、なんだか、おとぎばなしの世界にいるような気持になって私は、スルメの事をわすれました。はっと妙案が胸に浮びました。この美しい雪景色を、お嫂さんに持って行ってあげよう。……(中略)…… 人間の眼玉は、風景をたくわえる事が出来ると、いつか兄さんが教えて下さった。電球をちょっとのあいだ見つめて、それから眼をつぶっても眼蓋の裏にありありと電球が見えるだろう、それが証拠だ、それに就いて、むかしデンマークに、こんな話があった、と兄さんが次のような短いロマンスを私に教えて下さったが、兄さんのお話は、いつもでたらめばっかりで、少しもあてにならないけれど、でもあの時のお話だけは、たとい兄さんの嘘のつくり話であっても、ちょっといいお話だと思いました。

太宰治 「雪の夜の話」 より




 ハッセルブラッドの500シリーズは、やはり初期型の500Cがいい。一般的に使いやすいのはスクリーン交換が可能になった500C/M以降であろう。(70年代の過渡期にはスクリーン交換可能な500Cというイレギュラーなものも出回っていたようだけれど)でも、定番の500C/Mも新し目の503CWもいろいろ使ってみたけれど、メカとしていちばん優れていると感じるのはやはり初期型500C。クラシックなフォーカシングスクリーンのあの暗さがかえって雰囲気があるし、シャッター音もそれ以降のモデルとは微妙に違う(ような気がする)。で、このボディに合わせるとなると、マガジンもやはり旧型となる。

 1957年製なのに(つまりは500Cが誕生した年)珍しくコンディションのいい旧型マガジンを見つけた。しかも16枚撮りの645判タイプ。巻き上げクランクを反対側に動かすとカウンターの数字が1にリセットされる。その時の音がいい。赤窓部分のカバーデザインが美しい。

 今時、わざわざ旧型のマガジンを探している輩なんてあまりいないのであろう、新しいタイプのものより格段に値段も安かった。テレンプやモルトが痛んでいて光線漏れが起きやすいからかもしれない。でも、そんなのはすぐに修理できる。

 このバックショットに惚れ込んでしまったのである。クラシックカメラは美しくなければ意味がない。

500c




 年が明けて、相変わらずその日暮らしの毎日だけれど、気がつくと今年3月で57歳。60歳の還暦まであと3年と少し。人生100年時代などとまことしやかに言われているが、まあ、自分には関係ないお話。親が死んだ年齢を考えればそのくらいのことはわかる。あとどれだけの時間の猶予があるのか。その間になにをつくれるのか。なにを残せるのか。一度きりの人生だけれど、なりたい自分がいくつもあって、だったら自分のアイデンティティを固定せず、多重に生きてやろうと思ったのが40歳になった時。あれから15年余。そのうちのいくつかは実現できたような気もするが、でもいちばん肝心の、どうしてもこれだけは果たしたい、自分の生きた証としたいと思っていたものは遅々として進まず、そうこうしている間に、それらの原形自体が茫洋とし始め、掬い取るのにもはや手遅れになるのではないかと気が気ではない。平成30年。さて、今年あたりがいよいよ正念場なのである。……などと一月も半ばを過ぎてから年始の抱負めいたものを書いているようでは、今年もまた先が思いやられるということか。。

年始

土管

Planar 80mm f2.8 of Rolleiflex 2.8F + TX400


 土管。


snowland

Jupiter 50mm f2 + Ⅱf + Acros100


 snow land.




 今日は亡父の命日である。もう21年になる。71歳だった。今年の冬も寒いけれど、1997年の1月もとても寒かった。もう助からないと分かっていながら、実家の近くの八幡さまに初詣した時のあの寂寞感を思い出す。

 21年前の冬、自分が読んでいた本はこの三冊。(読んだ本は昔からずっと年毎月毎にメモしてある)和田俊の「その夏の別れ」、遠藤周作訳モーリヤックの「テレーズ・デスケルー」、そして中島敦の「かめれおん日記」。「その夏の別れ」は状況的に合点がいくが、父親の死を目前にして、いったいどういう気持で自分はモーリヤックや中島敦を再読していたのだろう。

 死亡届を出しに行った。父親の戸籍を見た。いつ生まれ、いつ誰と結婚し、いつこどもが誕生し、そして、いつ死んだか。書かれていることはそれだけだった。ひとの人生はそれでおしまいなのだ。それ以外のディテイルは残された者の記憶の中だけに宿る。

 車が大好きだった父親。60年代はフォルクスワーゲンのビートル、その後、タイプ3、タイプ4と乗り継ぎ、70年代はBMWの2002。国産車は買ってもすぐに飽きてしまう。例えばブルーバードのSSS。せっかく新車で買ったのにわずか2週間で売り払っていた。晩年はメルセデス。やはりメルセデスは最高だとのことだった。でも、あんなに車好きだったのにポルシェだけは乗らずじまい。心残りだったのではないだろうか。

 小学生の頃、父親の車の助手席に乗ってふたりでよくドライブをした。母親が家事ストライキを起こすたびに外にご飯を食べに行くのだ。VWタイプ4の時、あの運転上手な父親が交差点で軽い追突事故を起こしたことがある。たぶん車内で父親と口論になって、それで父親が脇見運転をしたのだと思う。申し訳ないことをした。

 スキーもゴルフもスポーツ万能。60〜70年代の地方都市で外車を乗り回していた父親。フランス料理店でのナイフとフォークの使い方が抜群に優雅だった父親。……久しぶりに会いたいなあと切に思う。

pan

Planar 80mm f2.8 of Rolleiflex 2.8F + TX400


 お鍋のインスタレーション。


photostudio

Planar 80mm f2.8 of Rolleiflex 2.8F + TX400


 photostudio.


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