naotoiwa's essays and photos

秋山

Elmar 5cm f3.5 L + Ⅱf + APX400


 久しぶりに印画紙に焼いてみる。




 先日、仕事で地方都市に行ったときのこと。

 夕方には打合せも終わり、ラッキー、夜はフリータイムだ、帰りは翌日の朝、とりあえず宿も取ったしこれからどうしようかな、という時の楽しみのひとつに映画館でレイトショーというのがある。東京の六本木や日比谷のオシャレなシアターで映画鑑賞もいいけれど、こじんまりした街の、ちょっと古びた映画館の座席の隅っこにこっそりひとり異邦人として紛れ込み、地元の人たちの方言を小耳に挟みながらポプコーン片手にレイトショーを見るというのが私の密やかな愉しみのひとつなのである。

 このために、今話題の「カメラを止めるな!」を東京で見るのを今までガマンしていたのである。ネットでチェックすると、宿泊予定のホテルから徒歩十分のところの映画館で夜の9時から11時まで上映中。座席の予約をする。上映開始まで近くの店で腹ごしらえをしてからグーグルマップの導くまま映画館に向かう。

 ポプコーンとコーラのセットを買って前から三番目の一番端の席に座る。まわりは若いカップルばかりだ。彼ら彼女らは、この街特有の優しく柔らかいイントネーションで平日の夜の会話を愉しんでいる。

 さて、「カメラを止めるな!」、すでに見てきた人からネタバレギリギリでいろいろ内容を聞いてしまっているので(というか、みなさん、頼みもしないのにペラペラと話してくれるのだ)、ただのスプラッターものでは終わらないことはわかってはいたものの、この映画館のこじんまり&しみじみした感じと相まって、前段が終わった時点で、アハハ、ちょっと安っぽかったけどナカナカのホラー映画だったなあ、もう十分満足という気分になってくる。そのくらい、非日常の街の映画館で楽しむレイトショーには風情があるのだ。

 だからといって、もちろん途中で席を立つことはなく、このヌーベルバーグの再来のようなホラー&コメディ映画を二時間たっぷり堪能してから11時過ぎに映画館を出て、ゆっくりと夜空の月でも見上げながら近くの神社に行き、真夜中のお参りをすることにした。二礼、二拍、一礼。本日も、とても良き日をありがとうございましたっ、ということで。

真夜中

GR 18.3mm f2.8 of GRⅡ

金平糖

DG Summilux 15mm f1.7 ASPH. + GM1


 金平糖。




 テニスの全米オープンがアツい。日本人選手が破竹の活躍である。現段階で男子は錦織圭がベスト4、女子は大坂なおみが、なんとファイナル進出を決めている。

 と同時に、今年の全米オ−プン、まさにアツさとの戦いである。今年のニューヨークの温度湿度が例年に比べて高い上に、アーサーアッシュスタジオの開閉式天井設置のせいで空気がうまく循環しないのだとか。あのフェデラーがアツさに負けて4回戦で敗退した。

 さて、このアツさに関連して、いつも気になることがひとつある。それはアセである。選手たちは一球ごとにボールボーイorガールが持ってきたタオルを使って顔やラケットを拭う。今回のようなアツさだとその頻度も多くなるし、そのタオルをボールボーイorガールに返す仕草が、選手によってはぞんざいに映らなくもない。あのタオル、クサくないのかなあ、といつも思う。

 あるいは、選手たちが勝利した瞬間。試合中に付けていた手首のアセ止めを外して会場に投げ入れる、例のファンサービスの風習だけはどうにも理解ができない。あの汗止め、クサくないのかなあ。

 20代、30代のアスリートがかいたアセはクサくないんだろうか、というのが今年の全米オープンを見ていての最大の疑問である。ま、それはさておき。さあ、そろそろ錦織圭のセミファイナルが始まる。



 若い頃からパリに行くと必ず立ち寄る郊外の場所がある。どちらも中心部から一時間もかからないところにある。ひとつはフォンテーヌ・ブロー。パリ・リヨン駅から40分ほど。ここの宮殿はフランス・マニエリスムの宝庫だ。もうひとつはサンジェルマン・アン・レー。こちらはメトロからそのままRERに乗り継いで30分もあれば着く。

 サンジェルマン・アン・レーの駅から10分ほど歩くと観光案内所がある。そしてここは、かのドビュッシーの生家跡でもあるのだ。20代の頃、クラシック音楽といえばドビュッシーばかり聞いていた。同時代のフランスの音楽家にサン・サーンスやフォーレやラヴェル、そしてサティがいるが、一番好きだったのはやはりドビュッシー。彼の音楽を聞きながらギュスターブ・モローの絵でも眺めていれば、古今東西のさまざまな場所を自在に旅することができた。

 ドビュッシーの音楽にはベルガマスク組曲、子供の領分、アラベスク、映像、版画など数多くあるが、なかでも一番好きだったのは前奏曲集の中に収められている「沈める寺」という曲。la cathédrale engloutie.



 かつてブルターニュ半島にあったと言われるケルト人の伝説の町イズー(Is、Ys)。ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ(イズー)」で有名なイズーの生まれ故郷である。パリという街の名前の語源はこのイズーの町に由来するという説もある。イズーを凌ぐ(par-is)街だからParis、ということらしい。ま、それはさておき、そのイズーの町はいつしか海底に沈んでしまった。水の中のカテドラルから聞こえてくる音楽、それがドビュッシーの「沈める寺」だ。

 海底に沈んだと言えばアトランティス大陸を思い出すが、こちらの伝説はなにやら大仰である。それに比べ、イズーの伝説は静謐さに包まれている。その町は死者の海に面した岬の突端にあったという。




 東京都美術館で藤田嗣治展を見てきた。没後50年を記念しての大回顧展ということで、初期から晩年に至るまで、フジタを堪能し尽くすことのできる質と量である。大満足。

フジタ

 今まで彼の渡仏後すぐの作品はあまり見たことがなかったが、1917年、18年に描いた『雪のパリの町並み』や『ドランブル街の中庭、雪の印象』の空と雪の色に強く惹かれた。そして、解説のキャプションを読んでピンと来ることがあった。そこにはこう書かれてあったのだ。「それは藤田が『パリの冬の真珠のような空』の灰色の色調を目指したためだろう」と。後にフジタの十八番となるあの乳白色、下地にシッカロールを混ぜて描いていたという説が濃厚だが、あの色のヒントは、二十代のフジタが初めてパリの冬の雪空を見て感じ入った色だったのではないだろうか。

 戦時中日本に戻って髪を丸刈りにしたフジタ。戦争が終わりフランスに戻る許可がおりると、また例のトレードマークのおかっぱ頭に戻している。でも、その時にはすでに髪の毛は真っ白だ。

 狂乱の時代のパリで脚光を浴び、ふたつの世界大戦に翻弄されつつ五人の女を愛し愛され81歳まで生きたフジタ。カトリックの洗礼を受けた後の、絵付陶器などの『晩年の手しごと』と題された作品群を見ていて、何故だか涙が止まらなくなった。

tail

Industar-61 52mm f2.8 L + M8


 tail.




 フィルムカメラが好きである。4Kデジタルカメラが当たり前の時代になっても、相変わらずフィルムカメラが好きである。たぶん、自分にとってそれはクロッキー帳みたいなもので、ひとりで旅をしているとき、あるいは日常の散歩のとき、気になった情景をペンシルを手に紙にさらさらっと描いてみる。そんな感覚でフィルムを巻き上げ、シャッタースピードと絞りを決めて、フレームだけのファインダーを覗き、ゆっくりとシャッターボタンを押すのだ。

 ゆえに、このクロッキー帳は、どこに行くにも鞄の中に気楽に入れられるサイズでなくてはならない。そのうえで、手に持ったとき、しっくりとくる重さと形状でなくてはならない。

 ということで、35ミリフィルムカメラならば、レンジファインダーのライカ、それもM型ではなくバルナックライカがやはり最適なのではないかと思うようになる。それも、微妙に一回り(2−3ミリぐらい)サイズが小さくて、微妙に(20グラムぐらい)重めの初期の板金タイプのものがいいと思うようになる。板金タイプと言えばDⅡやDⅢ。黒塗りの象嵌にニッケルタイプのレンズを付けるのが定番だけれど、あれはさすがにクラシック過ぎる。通常のクロームタイプの方がいい。となると、行き着く先はⅢaかⅢb。

 ところで、M型ライカになくてバルナックライカにあるものが視度調節レバー。近視で眼鏡越しにファインダーを覗く者にとってこれはまことにありがたい。二重像がキリリと引き締まるのである。で、その視度調節レバーがフォーカシングファインダーに付帯しているのがⅢa。Ⅲb以降は巻き戻しレバー側に移る。フォーカシングファインダーとフレームファインダーは近い方がもちろん便利なんだろうけど、デザイン的には視度調節レバーがファインダーに付帯したⅢaの方が格好いいと思う。

Ⅲa

 さて、手元にあるⅢa、シャッタースピードダイヤルの形状がなんだか怪しい。底蓋にも明らかに修繕した跡が見られる。でも、その分、戦前のライカとは思えないくらい美品だしハーフミラーも交換されている。実用だから詳細な時代考証にこだわる必要はない。このサイズと重さの絶妙のバランスさえ担保されていれば、我が理想のクロッキー帳となるのである。

雲

GR 18.3mm f2.8 of GRⅡ


 雲。




 秋が近づいてくると、無性に八木重吉の詩が読みたくなる。「秋の瞳」だ。有名なのは、例の「うつくしいもの」という詩だろう。

 わたしみづからのなかでもいい
 わたしの外の せかいでも いい
 どこにか 「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
 それが 敵であつても かまわない
 及びがたくても よい
 ただ 在るといふことが 分りさへすれば、
 ああ ひさしくも これを追ふにつかれたこころ


 そうなのだ。高い秋の空を見上げる頃になると、「ああ ひさしくも これを追ふにつかれたこころ」という想いがしわじわと押し寄せてくる。まだ猛暑日が続いているようだが、九月はもうすぐ。あっという間に「秋」はやってくる。

 そして、もうひとつ。この「うつくしいもの」に負けず劣らず好きなのが、「雲」という詩だ。

 くものある日 くもは かなしい くものない日 そらは さびしい

秋

GR 18.3mm f2.8 of GRⅡ


 薄の穂がさまになる季節になってきた。


 

このページのトップヘ