naotoiwa's essays and photos




 オレンジ色の明かりがシャーベットみたいに淡くなる夕刻がある。そんな時は、街の音、通りをすれ違う人々の声のざわめき、匂いの流れ方、香りの留まり方までもがなんとも柔らかい。おそらく空気の密度が普段とは違ってしまうのだろう。

 それは、春の兆しが見えてきた時節にも起こりうるし、夏の終わり、澄んだ秋の空の下、あるいは真冬の、とある一日にも起こりうる。季節はまちまちだ。ただ共通しているのは、風がふうっと止む時間帯、その後に始まる夜空が群青色になる直前の時間帯だ。

 そんな夕刻に、私は整然と区画整理された住宅街を歩いている。ツタの絡まる古めかしいヴィンテージもののマンションが左手に見えてくる。右手には簡易な十字架を屋根の上にかざした教会、その隣の更地には、大きな樫の木が一本そびえている。しばらくすると、いろんな店が軒を並べる賑やかな通りに出る。古着店、雑貨屋、小さな食堂、自家焙煎の珈琲店、エトセトラ。そして、その通りの突き当たりに、しめやかな公園の入口が待っていて、そこに自転車が二台、置き去りにされている。

bicycles

Summar 50mm f2 L + Ⅲa + Acros100 + Silver Efex Pro

鴉

Summar 50mm f2 L + Ⅲa + Acros100 + Silver Efex Pro


 hand.


neu

Xenotar 80mm f2.8 of Rolleiflex 2.8E + Acros 100


 久しぶりにクセノタールのローライ2.8E。やっぱりプラナーより好きかも。


冬景色

GR 18.3mm f2.8 of GR Ⅲ + Color Efex Pro


 久しぶりの雪景色。

 
したいことをしてきたと 人は思っているけど
 心の翳は誰にも わかるものじゃないから

 「さみしさのゆくえ」



 今年の雪不足は深刻だ。先日新潟に行った時も、地元のお年寄りの人たち曰く、山間部で例年の三分の一、町中では十分の一。雪かきをする必要がなかった年は自分の長い人生の中でも他にほとんど記憶がない、とのこと。

 長野もしかり。志賀高原の山の駅を過ぎて、志賀第一トンネルにさしかかる時、頭上をジャイアントスキー場のペアリフトが横切っていく。例年ならこのあたりからは本格的な雪景色のはずなのだが、今年はここまで来ても路面はドライなグレー色。

 今年だけの例外ならばいいのだけれど、地球温暖化がものすごい勢いで進んでいる気がする。このまま、この国から雪景色が消えてしまったら、と考えたところで気が滅入ってしまった。亜熱帯気候の日本、台風ばかりの日本。冬がなくなってしまった日本。

 夢の中で、僕は、昔ながらの古風なホテルの一室で、スチーム暖房のシューシューという音を聞きながら、窓の向こうの月明かりに青白く光るゲレンデを眺めている。夢の中で、僕は、凜とした空気の中、「さくさくさく。」と新雪を踏みしめている。

雪景色

GR 18.3mm f2.8 of GRⅢ + Color Efex Pro



 先週末より、大型イヴェント・公演が相次いで中止になり、学校は休校、企業も自宅勤務。テーマパークも休園である。まあ、これだけITが進化した現代だから、仕事のほとんどはテレワークでも可能だろう。教育もしかり。4月以降もこの状況が改善されなければ、大学の授業も真剣にオンラインを検討しなくてはならない。

 さて、この週末、上野の美術館・博物館も休館となった。実際に行けないのならば致し方なし。せめてヴァーチャルで常設展示でも、ということで google art & culture。……まあ、よく出来ている。美術館まるごとストリートビュー。気に入った絵画は拡大してけっこうディテールまで鑑賞できる。外出自粛でずっと家にいるのであれば、こちらで世界の美術館巡りをするのも悪くない。例えば、大好きなパルミジャニーノの「首の長いマドンナ」をストリートビューで鑑賞することだって出来るのだ。

 いい時代になったものだ。あのウフィッツィに、整理券も取らず並ばずに入場できて、他の観客に気兼ねせずに名だたる名画を鑑賞できるのだから。でも、……ひとっこひとりいないフィレンツェのウフィッツィ美術館? なんだかゾッとしてしまった。

 これからはますますリアルとヴァーチャルの境がなくなっていく、とはよく言われることだけれど、ほんとうにそうだろうか? 私には逆に、リアルとヴァーチャルの境がシームレスになればなるほど、ほんとうのリアルがよりいっそうかけがえなく、愛おしく思えてくる。マニエリスムの名画を見たければ、まずはフィレンツェの街で花の大聖堂のあの鐘の音を聞くべきなのだ。そして、ウフィッツィのヴァザーリの回廊のことを知り、ポントルモやブロンズィーノのあの「青」の色の妖艶さを実際に見ることだ。でないと、マニエリスム絵画の「アウラ」を感じることなんてできないと思うのだけれど。

 もう間もなくすれば、そうしたアウラさえ体感できるようなVR/AR技術が開発されるのかもしれない。そして、人々はシェルタリングされた自分の部屋から出ることが出来なくなって(ウィルスや放射能等で汚染されて出るに出られず)、この世界は、まるで昔からある定番の未来小説みたいに変貌していってしまうのだろうか、と考えたところでますます気が滅入ってしまった。

 ああ、フィレンツェ行きたいっ。でも、イタリアもコロナ感染、大変なんですよね。トホホ。



 吉祥寺に行くたび、必ず立ち寄る場所がある。井の頭自然文化園。ゾウの花子がいたことで有名な動物園である。その花子も4年前に亡くなった。でも、それからもずっと、昔も今もここに通い続けているのは、動物園に隣接するエリアに点在する北村西望の彫刻が目当てである。何度見ても飽きない。

 ここは、長崎の平和祈念像で有名な北村西望が、東京都から土地を借りてアトリエとして使っていた場所である。そのアトリエが現在でも他の二棟の建物(彫刻館AとB)とともに動物園の奥に建っている。で、数多くの西望の彫刻群の中で、とりわけ好きな作品がこのアトリエ館の壁に掛かっている。それが「寄木装飾」である。これ、他の彫刻を制作した際の余った木片を閂で繋いだだけのもので、西望の他のマッチョな塑像群に較べるとなんとも簡素で小ぶりな印象を受けるが、見れば見るほど味わい深い。西望自身も、これらの寄木装飾を「まるで天国にいるようだ」とことのほか慈しんでいたようである。

 北村西望。1884年、長崎県生まれ。1987年、東京都武蔵野市で死去。

to the forest


防雪服

Summaron 35mm f2.8 L + MM


 雪国にて。




 クロード・ルルーシュ監督の「男と女 人生最良の日々」を見た。というか、見てしまった。80年代にも一度、20年後を設定した続編が作られたことがあって、こちらは見た後で後悔した。ましてや今回は53年後の設定。ジャン・ルイは89歳、アヌーク・エーメも87歳。これは、見ない方が賢明であろうとずっと思っていたのであるが、いやいや、今回のは絶対に見るべき! と友人に薦められ、恐る恐る映画館に足を運んだのであるが……。





 良かったのである。クロード・ルルーシュは今回は無理に新たなストーリーを作ろうとはせずに、53年後のふたりのダイヤローグをウイットとユーモアを効かせて撮影し、それを原作のセピアカラーの映像と再構成させつつ、なんとも人生の滋養に満ちた作品に仕上げている。

 1966年の原作「男と女」。20代の頃、この映画を何度見たことだろう。フランスかぶれになった原因のひとつは間違いなくこの映画にある。台詞はほとんど暗記している。ドーヴィルに行きたくてたまらなくなって、会社に入って最初のフランス出張の際、日曜日に空き時間が出来るやいなやSNCFでパリからドーヴィルに向かった。ワンレングスの女性に弱くなった(?)のもこの映画の中でのアヌーク・エーメのせいである。

 そして、今回の第三弾となる「男と女 人生最良の日々」。ラストが素晴らしかった。1976年に撮影された短編映画「 C'était un rendez-vous 」の映像がリミックスされているのだ。早朝のパリを疾走する車のワンテイク主観映像。モータースポーツをこよなく愛したクロード・ルルーシュ監督自身のアドレッサンス(adolescence)が切なくて愛しくて、ちょいと涙が出てしまった。彼も御年80歳を過ぎている。そして、パリは、やはり掛け値なく美しい街なのだ。


このページのトップヘ