naotoiwa's essays and photos

hand

Planar 80mm f2.8 of Rolleiflex 2.8F + TX400


 hand.




 もうかれこれ二十年ほど、オールドレンズを蒐集して仕事に使ったりしている。ここ十年はオールドカメラ&レンズはけっこうなブームみたいで、ライカレンズをはじめとした海外ブランドモノは値段が高騰してオイソレとは買えないが、たまに格安の掘り出し物を見つけたりするとついつい買い足してしまう。で、そのほとんどが曇り玉である。

 中古カメラ店で「お客さん、その玉、スレ傷は多いけど曇りやカビはなくてスカッと抜けてるよ」などというセールストークをよく聞く。でも、そういうのはノーサンキューなのである。スレ傷はご勘弁。でも、曇りならばオーケー。何度もレンズクリーニングをしてその度に中玉にガサツなスレ傷ができているものよりも、一度もクリーニングしてなくて全体にぼんやりと白く曇った玉が好みなのである。

 スカッとクリアなレンズならば現代のレンズを買えばいい。オールドレンズは実用品ではあるけれど、やはり骨董。経年変化を素直に受け止めその風情を味わえばいいのだ。

 例えば、この1946年製のズミタール。戦後のものなのでコーティングもかかっているが、どうやら一度もレンズクリーニングには出されていない模様。それどころかあまり使われてなかったらしく、そのせいか鏡胴はピッカピカ。前玉のスレ傷も皆無。そのかわり中玉がしっかりと曇っている。逆光で撮れば紗がかかったようになる。ぜんぜんクリアじゃない。でもそれゆえにドリーミーな絵に仕上がる。粗であることを楽しめるのだ。そして、格安なのである。

紗

Summitar 5cm f2 + M9-P

dearest

G-Zuiko Auto-S 50mm f1.4 + OM-1n + APX400


 portrait of my dearest.




 三十代の頃大好きだった海外の現代作家と言えば、アントニオ・タブッキとミラン・クンデラ、そしてポール・オースター。今でもこの三人の作家の作品は読み返すことが多いが、今年に入って久しぶりにポール・オースターの新作(といっても実際に書かれたのはすでに10年前、柴田さんの訳の順番が遅れただけのこと)を読んだ。『インヴィジブル』である。昨年の秋口に日本語版が発売されたが、なかなか時間が取れないまま年を越してしまった。ポール・オースターの本を読むときは他の雑念を全部忘れて耽読したい。この三連休にようやくそれが実現した。

 なんとも悪魔的な小説である。どこまでがリアルなのかフィクションなのか、どこまでが誰のビジョンでどこからが別の誰かのビジョンなのか。すべてがまさにインヴィジブル。そして、そうした悪魔的な出来事(あるいは架空の物語)たちが、人生の晩年にあって回想されてゆく。それらは取り返しがつくのか、裁きは行われるのか、すべては忘却の彼方へと消えてゆくだけなのか。関わった人、残される人はなにを信じ、なにを疑えばいいのか。……ポール・オースターらしい多重で複雑な構成。けれども決して難解な文脈にはならない。怒濤のストーリーテリングで一気に読めてしまうが、その分、最後のページに至ったときに圧倒的な絶望感にさいなまれる。

 ほぼ同時期に書かれた「冬の日誌」もそうだ。人生の冬の時代を迎える準備を切々と考えさせられる小説だった。ポール・オースターは1947年生まれ。現在71歳。この小説を書いたときは62歳。

eye

Summilux 50mm f1.4 1st + M10-P


 in your eyes.


double exposure

Tessar 75mm f3.5 of Rollei Standard

 
 double exposure.




 今にも雪が舞い落ちてきそうな冬空の下、僕は古いローライフレックスを首からぶら下げて凍えながら街を歩いている。馴染みの古本屋は本日休業、シャッターを下ろして店ごと悴んでいる。その脇に地蔵が一体、色あせた朱の頭巾を被ってぽつりと寂しそうに立っている。摩耗してほとんど表情が読み取れないその横顔に西日が赤々と差している。シャッターボタンに人差し指を当てる。金属の先端がツンと冷えている。巻き上げてあったかどうだったか。現像してみたら二重露光だらけかもしれぬ。あるいは何も写ってない箇所が何カットもあるかもしれぬ。入れたフィルムはISO400だったか100だったか。そもそもカラーだったかモノクロだったか。

 通りをしばらく進むと、最近出来たばかりらしい大型の新築のマンションが見えてきた。エントランス前に置いてあるパンフレットを手に取ると、ここはマンションではなく有料老人ホームらしい。「要介護認定5の方も認知症の方も入居可、胃瘻の方の介護も万全」と書かれている。入居時2500万、月額家賃30万。各階の窓辺には花もなければカーテンもかかっていない。おそらくはまだほとんどが空室なのだろう。僕は自分が二十年後ここで生活している情景を思い浮かべる。
 その老人ホームの先には、築30年以上は経過しているであろうプレハブの安アパアトが二軒建っている。手前の建物の一階のドアのひとつが開いて、若い学生がひとり外に出てくる。饐えて黴びた部屋の匂いがぷんとする。もうひとつの建物の二階のドアがひとつ開いて、外階段を降りてくるハイヒールの音がする。甘ったるい香水の匂いがぷんとする。僕は自分が三十年前ここで生活している情景を思い浮かべる。

 それから、僕はなんともウンザリした気分になってきて、……なににウンザリしたのだろう。想い出すことにか、思い起こすことにか。いやおそらくは、いつもそんなことを繰り返してばかりいる我々人間の、間延びしたやり口そのものに僕はウンザリしたのかもしれぬ。

 回れ右をして来た道を引き返す。すると風景が一変し始めた。通りの反対側に「架空ショップ」という看板を出した店がある。ないものを売っている店ということか、あるいは店内には誰もいないということか、はたまた店そのものが実際は存在していないということか。
 そうだ、いっそのこと、みんな架空だったらいいのにと思う。誰かが今日一日のこの街で繰り広げられるあらゆるシーンのシナリオを書いて、それをみんながひたすら演じるのだ。次の日はまた誰か別の人がシナリオを書いて。その方が現実なんかよりずっとシズル感がある。

 いつの間にか、いつもの公園に戻ってきた。併設された動物園のゲートをくぐることにする。無性に人間以外の生きものが見たくなったのだ。時刻は16時ちょうど。「あと一時間で閉園になりますがよろしいですか?」

 山羊のお腹はどうしてこんなに大きいのだろうと僕は思う。横にこんもりと膨れ上がっている。妊娠しているのか、たくさん草を食んだのか、あるいは悪い腫瘍ができているのか。フェネック狐はどうしてこんなに耳が立っているのだろうと僕は思う。どうしてネコ科じゃなくてイヌ科なんだろう。どうしてこんな不可思議な鳥みたいな鳴き声なんだろう。

 ワシミミズクにじっと見つめられながら、僕はローライフレックスのファインダーを上から覗く。二眼レフの鏡像が左右逆転するのは知っているが、上下は現実のままなのか、あるいは上下もほんとうは逆転しているのではないかと僕は不安になる。……シャッターボタンに人差し指を当てる。金属の先端がツンと冷えている。巻き上げしてあったかどうだったか、またわからなくなってくる。

magic hour

Summitar 5cm f2 + M9-P



 そろそろ、ラストオーダーになります、とバーテンダーの人が言った。もう一杯だけマッカランをください、とわたしは言った。胸の中がざわめいている。過呼吸になりそうな感じ。ふっと、意識が揺らぐ。さっきまでカウンターの奥でひとりビールを飲んでいたひとが、隣に来てわたしになにか言っている。カウンターに突っ伏したわたしに顔を近づけてなにか言っている。

 このひとは誰だろう。初めて見かけたひとだ。でも、わたしにはわかる。この、今わたしのすぐ近くにいるこのひとが、わたしにとってとても大切なひとだということが、なぜだかわたしにはわかる。ずっと前から、わたしはこのひとのことを知っている。このひととのことはなにもかも憶えている。

 わたしの記憶の中で、フィルムが急速に巻き戻り出したのがわかる。そして改めて、再生ボタンが押されるのがわかる。また最初から?

 面倒臭いなあ。ちょっとだけわたしはそう思う。でも、このひととなら、何度だっていいじゃない、と思い直す。前に会ったときも、ワクワクすることがたくさん、いっぱいいっぱいあった気がするよ。

nous deux

Summitar 5cm f2 + M9-P



 長野にはあっという間に到着。わたしたちは駅前のバス乗り場で志賀高原行に乗る。バスは高速を二区間だけ走ってから専用道路に入っていく。そのころから雪がちらつき始め、うねるようなカーブを十ぐらいクリアする頃には、道路が真っ白になってくる。トンネルを抜ける度、白い世界は着実に完成していく。最初は道路だけだったのが、次には山肌が真っ白になり、その次には道路脇の家々が全部、そしていつの間にか見渡す限りすべてのものが真っ白に覆い尽されていく。最後のトンネルを抜けた時、ふいに道路の真上をリフトが横切って動いているのに出くわす。わたしたちの乗っているバスはそのリフトの下をくぐって行く。「さあ、ここが志賀高原の入口だよ」とあなたが教えてくれるの。「わあ、すごい、まるでおとぎ話の世界みたい」とわたしは言うの。

 翌日から、わたしはスクールに入ってスキーの猛特訓。一週間も経つ頃にはけっこううまくなって、もうどこでもあなたのあとを追って滑っていけるようになってるの。

 そうして、1月初旬のある日。午前中は吹雪いていたけど午後には晴れ上がって、でも頂上のあたりは誰も人がいなくて。そんな中、あなたがゆっくりとシュプールを描いている音だけが聞こえている。わたしはその音をたよりに後をついていく。しばらくすると、あなたがコースを外れて林の中に入っていくのが見える。あなたは、時々止まって後ろを振り返り、わたしの名前を呼ぶ。わたしはちゃんとあなたの後をついて行っているのだけど、あなたにはわたしの姿が見えていないみたい。そして、わたしもあなたの姿がだんだん見えなくなってくる。わたしはものすごく怖くなる。ああ、ひょっとして。あなたもわたしも真っ白なスキーウェアを着ているものだから、ふたりとも白銀の中に溶け込んでしまって見分けがつかなくなっているんじゃないか。……そう、わたしは気が付くの。






 昨日の夜に見た夢は、そんな夢でした。

windows

Summitar 5cm f2 + M9-P


 windows.


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