naotoiwa's essays and photos

santa

Tessar 60mm f3.5 of Rolleiflex 4×4 original + ReraPan 400


 Santa Claus.


orange

CZ Ultron 50mm f1.8 + Pentax SP + Reala400


 オレンジは嫌い。


banana

CZ Ultron 50mm f1.8 + Pentax SP + Reala400


 バナナは好き。

chiristmas

Summitar 50mm f2 + M8


 Merry Christmas.


tail

CZ Ultron 50mm f1.8 + Pentax SP + Acros100


 平べったい尻尾。




 昨日に続いて、ローライフレックスである。たぶん、すべてのカメラの中で僕はローライフレックスが一番好きなのかもしれない。ハッセルよりも、そしてライカよりも。

 なんだかやっぱりシャレているのである、ローライフレックス。シャッターの感触が柔らかい。大仰な音などいっさいしない。そして、基本はウェストレベルファインダーなので、相手の顔を直裁に見つめる無粋からも解放される。ゆえに、ポートレートに最適。

 1959年のボサノヴァの名曲、ディサフィナード。この歌の中でローライフレックスのことが語られているのは有名なお話。1959年だと、ここで歌われているローライフレックスは2.8Eか3.5Eあたりだろうか。

 Fotografei você na minha rolleiflex.

 今日はこの名曲を、ナラ・レオンの声で聞きたい気分である。冬と春を飛び越えて。……ボサノヴァの歌詞を味わうためだけにポルトガル語を勉強するのも悪くないかも。ちなみに、ローライフレックスのポルトガル語の発音は「ホーレイフレックス」。





 

 ここ何ヶ月もモノを買っていない。物欲がないのか、いや、そもそもお金がないのである。というか、あれやこれやで出費がかさんで、自分のモノを買うのにお金が回ってこないのである。働けど働けど、自分以外の用途ばかりにお金は消えていく。働けど働けど、税金ばかりが増えていく。トホホである。
 さて、十二月。世の中、ボーナスの支給時期である。景気がいいのかプチバブルなのか、街に出るとどこの店も繁盛している。便乗してちょっと浮かれた気分にならないことも、ない。

 で、買ってしまったのである。せめてなにかひとつぐらい自分へのご褒美を、ということで。自分よ、一年間おつかれさま。
 だって、ついに見つけてしまったのだから。戦前のベビーローライ。しかも最初期のモデル410。もちろん今までにも何度か見かけたことはある。新宿の路地裏の中古カメラ店で、あるいはウィーン郊外の老舗のカメラ店で。(あの時は店主にドイツ語でいろいろ説明をされたけどさっぱりわからなかった)でも、どれもこれも状態が悪くて買う気にはなれなかった。仕方あるまい。なにせ1931年製造のカメラなのだから。
 それが、ついに。……オリジナルの状態でこんなにきれいなものは後にも先にも見たことがない。作動もしっかりしてるし(スローガバナーもいい音を立ててきっちり一秒を刻んでいる)、レンズも、さすがに曇りはあるけれどスレ傷ひとつない。奇跡である。こんな機会は二度と訪れることはあるまい。取り置きを頼んで、すぐに近くのコンビニでお金を下ろした。四万円。

baby rollei

 拝啓 名取洋之助様。あなたが1930年代のドイツでお使いになっていたであろうベビーローライをついに手に入れました。なんて美しいデザインなんでしょう。Rolleiflexのクラシックな書体がとても優雅ですね。ホレボレいたします。

 さあてと。このカメラにベスト版のネガフィルムを詰め、冬の街に出かけることにいたしましょう。



 早いもので、大学の教員になってもう2年目の冬である。4年生は卒論提出の時期である。この2年間ははじめての経験ばかりだったので、自分の研究もさることながら、いったいどのような授業を行えばいいのか、そのカリキュラム作りと実践にトライ&エラーの毎日だった。特に大人数の授業はその課目に対してモチベーションが高い履修生ばかりが集まるとは限らない。でも、そうした学生に対しても学び方自体を学べるきっかけになればと、なるべく新しくアップデートされた情報・役に立つ情報を、そして90分間の間に発想が刺激されるネタを準備してきたつもりである。結果、通常の大学の授業とはずいぶん異質な内容になってしまった時もあったかもしれない。でも、「先生の授業とても面白かったよ」と言ってくれる学生も多かったし、一年目の学部投票では恐れ多くもベストティーチャー賞なるものもいただけた。
 でも、ここに来て、果たしてほんとうにこれでよかったのかなあと自問自答している自分がいる。というのも、自分が二十歳前後の学生だったらどんな授業を望むだろうかと考えると、今自分がやっていることとは少々違うような気がするからである。
 電車やバスを乗り継いで大学のキャンパスに通い、朝の9時から始まる1限の授業に遅刻せずに出席し、午後は気のおけない仲間と少人数ゼミで過ごす時、自分だったら授業になにを望むのか。ただ単に新しいだけの情報などネットを駆使すれば自宅でたやすく検索できる。わざわざ大学に通ってまでして指導教官から得たいと望むのは、もっと静謐できめ細やかな知の体系のようなものなのではないだろうか。実学的な役になど立たなくともよい。時にそれは偏狭に陥ることがあるかもしれないけれど、それ故にこそ専門性の高い、その教官独自の感受性で丁寧に積み上げられた知の体系。詭弁や大仰なレトリックとは無縁の、その教官と同じ場所にいるだけで脳の中の襞がしっとりとしてくるような空気感。……例えば、今日木曜日の一限はフランス語。今週は仮定法過去。テキストにはプルウストを使うらしい。午後からはゼミの指導教官のS教授と詩人の中村稔さんの詩を朗読し解析する。4限が終わったらどこか大学の近くの喫茶店でノオトを復誦しながら「思案に暮れる」。……そんな大学生活は、もはや過去の幻影なのだろうか。いや、いつの時代にあっても「知の香しさ」なるものは存在し、それが感じられない授業は大学の授業ではないと思うのだけれど。
 などと自戒しつつ、さあて、今日も出講日。本日のゼミではなにを話そうか、なにを伝えようか。ひとりでも多くの学生に少しでもそれを感じてもらえることができたら、と。



 伊豆の河津といえば、とにもかくにも早咲きの河津桜で有名。他にも薔薇の名所のバガテル公園には何度か行ったことがあるが、今の今まで、河津にこんなところがあるとは知らなかった。伊豆ならんだの里、河津平安の仏像展示館

 河津駅の近くの谷津橋(かつてはここが伊豆半島の海運の要所だったらしい)から車で坂道を7〜8分ほど。駐車場に車を止め、そこからさらに急な坂道を登る。ちょいと息があがるが、ようやく登り詰めたところからの山の紅葉が美しい。
 現在、展示館の隣には南禅寺(なぜんじ)のお堂が建っているが、八世紀、行基がこの地にインドのナーランダにちなんだ那蘭陀寺という名前のお寺を建立したのが始まりとのこと。しかし、十五世紀、この那蘭陀寺は山崩れにあい、安置されていた平安時代の仏像・神像のほとんどが土の中に埋没してしまった。で、のちにそれらを掘り起こし奉納したのが南禅和尚なんです、と地元の方が丁寧に説明をしてくださった。

 その仏像・神像群が素晴らしかったのである。約二十体ある像のうち、半分近くはお顔の原型を留めてないが、それでも、いや、それゆえにこそ、神々しさがひしひしと伝わってくる。プリミティブアート、あるいは抽象的なモダンアートを見ているような気分になってくる。三十分ほど魔法をかけられたように我を忘れて見入ってしまった。
 最後に、これらの仏像の多くがカヤの木の一木造りだと説明を受けながら、木の皮の甘みだけで煎じた甘茶をいただいた。そして、「これはその同じカヤの木のお札ですよ」といってお土産にもらった木札は、なんとも清々しいいい香りがした。悠久の昔に誘ってくれるような。……

南禅寺






 Chilly Gonzales のピアノが好きである。予定調和のメロディにキラリと不協和音が混ざる。イージーリスニングのように安心させておきながら、思わぬ落とし穴が待っている。リリカルでクール。……その加減がちょうどいい。とても落ち着く。まさに chill な感じ。

 Chilly Gonzales のピアノはくぐもった日によく似合う。空気の粒子が細やかに振動する。Chilly Gonzales のピアノはなにかを想い出している時によく似合う。ぼんやりと未だこれからの夢を心の中に描いている時に、よく似合う。



 

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