932 years ago

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 金環日食、関東地方で見れましたね。ちょうどいい曇り具合で、日食グラス使わなくてもいいぐらいでした。

 日本のこんなに広範囲なエリアで、金環日食が見れたのは実に932年ぶり、という報道を耳にして、その932というリアルな数字が妙に気になって、日本史の年表なんぞを紐解いてみた。

 今から932年前、1080年。摂関家の力が衰え、武士の台頭が始まる平安時代の晩期にあたる。奥州の後三年の役が1083年。そして、白河上皇による院政の開始が1086年。その後、白河、鳥羽、崇徳、近衛、後白河と続き、保元の乱へ。まさに、今年のNHKの大河ドラマ「平清盛」の舞台が出来つつあった時代である。

 京都に鳥羽離宮跡というところがある。地下鉄の竹田駅からすぐ。鳥羽法皇ゆかりの安楽寿院や近衛天皇陵の多宝塔があるこのエリアこそ、白河、鳥羽両法皇が中心となって院政が開始された場所。

院政


安楽寿院

 今の時代に訪れてみると、無粋にも名神高速道路の高架が、白河法皇陵と鳥羽法皇陵を分断していたりしていて、風情はいまひとつであったりするのだが。

 去年の東日本大震災の規模は、869年の貞観の大地震以来、実に1143年ぶりのものだったと言われている。そして今日の金環日食が932年ぶり。…なんとも歴史の悠久さを感じる数字である。



あの世コーポラティブハウス

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 先日京都で、十数年来お世話になっているご住職の方とひさしぶりに「アタマとココロが喜ぶ」会話のひととき。このご住職、とにかくアイデアマンなのである。ポータブルな組み立て式の遺骨とローソクと供花のセットを商品化してみたり、あるいは、新しいスタイルの共同墓地を考案してみたり。
 生前に共同墓地の予約をするんだそうな。たくさんの方が埋葬されていれば、必ず毎日どなたかの遺族がお参りに来てくれて、それぞれの仏さまも寂しい思いをすることがないのでは、とおっしゃる。なるほど、なるほど。お参りに来る遺族同士が仲良くなる機会も増えそうだし、これって新しいコミュニティ発想ですね。あの世でのコーポラティブハウスみたいなものだと思う。
 五月の新緑を借景として、きれいに整地された共同墓地。真ん中に上品でシンプルな墓石がひとつだけ。春には桜の花が。…こういう終の棲家に仲のいい友達同士で申し込んだりするのもいいかも、とマジで思った。

 ところで、これもご住職のアイデアですか?「見ざる聞かざる言わざる」ならぬ「見るぞう聞くぞう言うぞう」の三地蔵!

三地蔵

 今日は亡父の誕生日。生きていれば今年で齢八十八歳。ひとりぼっちのお墓で寂しい思いをしていないだろうか、などと思いつつ。



一日晴。

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 昨日(十六日)仕事で京都へ。毎年、五月の十五日は京都の葵祭である。一日遅れとはいかにも残念と思っていたら、なんと雨天順延と相成った。ラッキー。京都駅に着くやいなや、急いで御所に向かってみる。
 総勢511名の行列。あでやかな平安期の王朝美である。最近、中国や韓国に行く機会も多く、日本が影響を受けた文化の系譜に関してはそれなりに理解しているつもりだが、これはやはり日本独自のものだ。この色彩のやわらかさ、上品さ、色合わせのグラデーションの優美さは他の国には見あたらない。花傘ひとつとってみても、新緑を背景にして、なんとモダンに品よく映えることか。

風流傘

 約40分の行列は見ていて飽きることがない。最後に斎王の牛車が通る。葵と桜の花房を付けている。

牛車

 これを、風流を付ける、と云うのだそうな。そして、風流を付けることを「一日晴」、と云うのだそうな。刹那的なのに、それでいてなんとも長閑で美しい言葉である。

 前日の雨から一転して、十六日は一日晴。見る方も日傘が必要なくらいの五月晴れでありました。




腰が立つ!

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 昨日、鎌倉で座禅会。

 座禅の姿勢で一番大切なのは「腰を立たせる」こと。背筋がピンと立てば、人間、ネガティブなことなんか考えなくなるもの。だから、腰が立ってない人のことを「腰抜け」という。…なるほど。
 次に呼吸法。自分の呼吸のことだけに集中する。他のことは考えない。自分がこれから切腹するとして、背後に首切り役人が刀を構えている。この息を吐き終わったときに自分の命が終わる。そのくらいの覚悟で、これが「最後のひと呼吸」だと思ってひとつひとつの呼吸を大切にすべし。…なるほど、なるほど。
 原因があるから結果がある。…因果応報の話、かな?…でも前世の因縁とかそういうことではなく、とてもリアリスティックな法話を聞かせていただいた。

 今、あなたにあまり良い結果が出てないとしたら、それは過去にそういう原因の種しか蒔いてこなかった証拠。これはもうどうしようもない。今からできることは、未来の良い結果のために、改めてこれから良い原因を作るよう努めるのみ。…まったくもってその通りであります。…

 両足とも太ももに乗せる結跏趺坐(けっかふざ)もなんとか出来るようになったし、警策(けいさく)で喝を入れて頂いて、これ、けっこう肩こりにも効いたし(?)、まずもって、なによりもココロが洗われました。五月の新緑の空のように。合掌。

new green






異邦人がアウェイで評価されるポイント

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 NHKBSの「極上美の饗宴」で「藤田嗣治・乳白色の裸婦の秘密」をやっていた。60分の番組を通して、彼がフランスであれほどの成功を修めた理由がとてもよく理解できた。異邦人がアウェイで評価されるためのポイントを知り尽くしていた男、藤田嗣治。
 そのポイントとは、自分の生まれ育った風土の持つオリジナリティを強烈に相手に印象づけること。(相手から見れば強烈なエキゾチシズムということになる)そして同時に、相手の風土に同化すること。(迎合ではない、相手の風土をレスペクトする見識の深さである)このふたつの絶妙なバランス感覚というか、相反するふたつを両立させようとする強烈な意志こそが大切だと思うのだ。
 藤田の絵で言えば、日本人らしいオリジナリティとは、西洋の油絵の技法をベースとしながらも、徹底的に日本画の手法を前面に押し出したあの独自のスタイルの発明である。彼は日本画用の面相筆で墨の極細の輪郭線を引いていたことが明らかになっている。そして、相手の風土に同化するという点では、乳白色の裸婦(キキ)の横たわる寝台を縁取る布に、当時のパリジャンたちが慣れ親しんでいたフランスアンティックのジュイ布のデザインをそのまま使っている点を番組で指摘していた。

 藤田の絵は、まさに油絵のスタイルをとった日本画である。「藤田嗣治 異邦人の生涯」にもこんな文面が紹介されている。

fujita

「ある日ふと考えた。春信・歌麿等の画に現れる、僅かに脚部の一部とか膝の辺りの小部分を覗かせて、あくまでも肌の実感を描いているのだといういう点に思い当たり、初めて肌という最も美しいマチエールを表現してみんと決意した」

 シッカロールの成分であるタルクを混ぜて、あの乳白色を創り出した独創もさることながら、キャンバスの下地自体を生かす発想そのものに恐れ入る。それこそ、キャンバスと絵の具、主体と背景の関係性の同等化という、西洋の絵画芸術が20世紀以降模索し続けたモダンアートの縮図そのものだと思うからだ。

 異邦人がアウェイで評価されるためのポイント。…これは藤田が活躍した1920年代であろうと、グローバル化が進んだと言われる21世紀の現代であろうと、基本的にはあまり変わらないのではないだろうか。そして絵画のみならず、すべての芸術分野において通用する鉄則だと思うのだが。(もちろん、広告のクリエイティブに関しても然り、である)




梁塵秘抄ふたたび

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 前回の続編である。梁塵秘抄。

 遊びをせんとや生れけん、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。

 この歌、若い頃読んだ時と、人生の後半を迎えた今では全然味わいが違う。我が身さえこその「さえこそ」がしみじみと胸をつく。

 なんて、前回に書いてみたものの、なんだかちょっと気になって、西郷信綱さんの「梁塵秘抄」(ちくま学芸文庫)のページをめくってみたところ、…

梁塵秘抄

 「これを、『老境に入ろうとして、過去をかえりみ、子供の童心に憧れる微妙な心理の動き』をうたったものとする見解もどうであろう。…字面を追うかぎりでは一応そう受けとれもしようが、それは棒読みというものであろう。」

 と、書かれていた。…棒読み、か。ううむ。

 遊女罪業説、老境童憧説、浄土欣求説などさまざまな説が披露されていたが、最終的には以下の説明に合点がいった。

 「歌うということは、胃から頭に至るまでのほとんどすべての筋肉の動きを必要とし、…(中略)…歌うということが身をゆるがす行為であることは紛れもない事実である。」

 「我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」をもっとストレートにフィジカルにとらえるべき、ということだろう。我が身の身とは身体そのものということだ。

 遊女が、今様を歌うことを生業とする遊女が、遊ぶ子供の声聞いて、まさに我が身がゆるがれる、とストレートに読む方が、なるほど、この歌はより官能的で生き生きとしてくる。納得でアリマス。





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