naotoiwa's essays and photos



 夜中に目が覚める。部屋の中の闇の色で今が何時頃なのかがわかる。ほとんど間違えることはない。誤差は10分程度だ。

 今は、まだ3時前だろう。案の定、枕元の時計の針は2時50分を指している。寝入ってからまだ2時間ほどしか経っていない。上出来だと思う。2時間も眠れれば上出来。これを2セット、できれば3セット重ねられたらそれでいい。ノンストップで6時間も7時間も眠り続けるなんて、もう何年も経験していない。

 2〜3時間のショートスリープの間、必ず夢を見る。随分とハッキリとした夢を。書き付けておけばりっぱな夢日記になるだろう。医者に相談したら、たぶんノンレム睡眠の時間が少ないんでしょうね、と言われた。

 眠ろう。あとワンセット眠ろう。スマホでメールをチェックするなんてもってのほか。読書灯を付けて小説の続きを読むのも控えよう。このまま、闇の中にじっと身を横たえたまま、あと2時間か3時間。眼球がぐるぐる動いているレム睡眠で構わない。体を弛緩させられる眠りであればなんだって構わない。

 ほどなく夢の続きが始まった。最近は寝入らなくとも、こうやって体を休めて静かに目を閉じているだけで夢が勝手にジェネレートされていく。脳も体もまだ明らかに覚醒しているのに。それが証拠に、左手の人差し指で鼻の頭を掻くことが出来る。右足を立て膝付くことも出来る。体中の随意筋を自由に動かすことが出来る。なのに、頭の中ではひとつのイメージが形になり、自由に動き始め語り始める。荒唐無稽な物語がジェネレートされていき、その上映を覚醒したまま眺めることが出来る。

 夢と現実の境目がなくなっていく。医者には、睡眠中も脳があまり休んでいないんですよ、と言われた。だから、いろんなことが修復できない。リセットできない。その結果、頭の中はノイズだらけになる。そしてエラーが起きる。

dog

Summilux 50mm f1.4 ASPH. + M


boat

Summilux 35mm f1.4 2nd + M


 boat.




 町田市にある武相荘に行ってきた。ご存じ、白洲次郎・正子夫婦の邸宅跡。ここは、戦時中、当時まだ寒村だった鶴川村の農家をふたりが買い取って改築したものである。現在ギャラリーになっている茅葺き屋根の母屋には正子の書斎が残されている。蔵書の一冊一冊を眺めやる。折口信夫全集、南方熊楠全集。チェーホフも数冊ある。本の重みのせいか床の一部が真ん中で傾いていたりもする。

 書斎近くに「無駄のある家」と題した正子の文章の一部が展示されていた。この文章が素晴らしい。

 鶴川の家を買ったのは、昭和十五年で、……(中略)……もともと住居はそうしたものなので、これでいい、と満足するときはない。綿密な計画を立てて、設計してみた所で、住んでみれば何かと不自由なことが出て来る。さりとてあまり便利に、ぬけ目なく作りすぎても、人間が建築に左右されることになり、生まれつきだらしのない私は、そういう窮屈な生活が嫌いなのである。俗にいわれるように、田の字に作ってある農家は、その点都合がいい。いくらでも自由がきくし、いじくり廻せる。ひと口にいえば、自然の野山のように、無駄が多いのである。……(中略)……あくまでも、それは今この瞬間のことで、明日はまたどうなるかわからない。そういうものが家であり、人間であり、人間の生活であるからだが、……

白洲正子『縁あって』(2010年、PHP研究所)


 普請道楽を極めた人だけが言える言葉だと思う。

武相荘2

武相荘1

Summilux 50mm fd1.4 1st + M9-P



 今までに、どのくらいの数の小説を読んできただろう。家の本棚にあるものだけでも単行本で2000冊ぐらい、文庫本で1000冊以上。それ以外にも図書館で借りたり、すでに売却してしまったものも含めると優に5000冊は超えているのではないだろうか。そのうち、何度も読み返しているのはせいぜいが200〜300冊、全体の5%ぐらいで、あとはあらすじも登場人物もほとんど忘れてしまった。でも、物心ついてからずっと読み続けてきたこれら古今東西の小説たちは、かなりの確率ですべて自分の血となり肉となっているはずで、自分の感受性なるものの大半はこうした小説たちで出来ている。
 その中から特に好きだったものを挙げろと言われたら相当悩むかも知れないが、「一番痛快だった小説は?」と尋ねられれば、わりとたやすく答えられるかもしれない。……それは、(あまりに著名でオーソドックスで、中高の推薦図書っぽくて恐縮だけれど)やっぱり、夏目漱石の「坊っちゃん」なのである。

 「坊っちゃん」……この小説、明治時代に書かれたものとは思えないくらい、平成も終わろうとしている現代人にもとてもテンポよく読める。そして、痛快なのである。主人公や山嵐の気質が竹を割ったようで清々しい。読み返す度にスッキリする。かといって、この小説、単なる青春小説の枠にとどまるものでもなく、赤シャツや野だいこの言動を通じて近代以降の人間のエゴイズムや欺瞞を浮き彫りにしてくれる、人間のさまざまな「こころ」を思索できる小説なのである。

 金や威力や理屈で人間の心が買える者なら、高利貸でも巡査でも大学教授でも一番人に好かれなくてはならない。中学の教頭ぐらいな論法でおれの心がどう動くものか。人間は好き嫌いで働くものだ。論法で働くものじゃない。

夏目漱石『坊っちゃん』より




mt.fuji

Summilux 50mm f1.4 ASPH. + M


 Mt.Fuji


halloween

Summilux 50mm f1.4 ASPH. + M


 一夜明けて。


菊

Summilux 50mm f1.4 ASPH. + M


 生き返る我嬉しさよ菊の秋 (漱石)


十月桜

Summilux 50mm f1.4 ASPH. + M


 十月桜。



 人間の心で最も制御出来ないのは、嫉妬とプライドだ。だけどその二つがないと人間には何も出来ない。それは生きるための糧でもあるから。

坂元祐二『往復書簡 初恋と不倫』より



 人生100年時代。これからは3ステージではなく4ステージで人生を考えるべきだといろんな人が言っている。それによれば、50歳からこそが円熟の第3ステージ。25歳までの第1ステージ、50歳までの第2ステージに仕込んできたさまざまなモノゴトを花開かせる時期らしい。
 さて、今までの我が人生、たぶん、人並み以上にいろんなことにチャレンジし、さまざまな自分を多角的に創り出そうと努力してきたつもりである。そしてこれからも、それらを組み合わせ、まだまだ新しいことにたくさんチャレンジしていくつもり。少なくとも70歳までは現役を貫く。その気力は十分にあると思っているし、新しい未来の自分にワクワクしている。
 でも、同時に、今までよくやった、もう十分かもしれない、これからは、ほんとうに新しいことなんか起こりはしない。……そう思っている自分もいたりする。
 決して厭世的になっているわけではなく、でも、仮に寿命が100歳まで延びようとも、何かに相応しい季節というのはやはり決まっていて、我々はそれを安易に引き延ばせるものではないのだ。だから、もう。でも、まだ。……このところ、そんな錯綜した気持ちがいつも心の奥底に沈殿していたのであるが、吉田篤弘さんの小説「おるもすと」を読んでいたら、しっくりと合点がゆく文章に出会った。

 もうほとんど何もかも終えてしまったというのに、どうしても自分はそれを終えることができない。

 僕はそうして、もうずいぶんといろいろな物や事を忘れてしまった。忘れてしまったのだから何も覚えていない。ただ、少し前まではいまよりもう少し複雑な何かや、やきもきする気がかりなことや不安なんかを抱えていたように思う。

 その他のほとんどのことは終えてしまったり忘れてしまったりしたけれど、わざと少し色を塗り残すみたいに、想像する思いだけは、手つかずのまま変わらないようにと願っている。


吉田篤弘『おるもすと』より



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